子供の見方って・・すごい! | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

久しぶりに読書会に参加しました。と言っても本好きな数人が集まってわいわいがやがややるだけの会ですが、これが結構ためになるのです。

簡単に説明しますと、それぞれが自分が読んだ本、あるいはお勧めの本を持ち寄ります。そして自己紹介を兼ねてその本の感想なりお勧めの点なりを述べるのです。更にその後全員で今の発表に対する感想などを述べるのですが、これがいろんな意見が出て、非常に刺激になるのです。

ちょっと


今日もいろんな本の紹介がありましたが、有る主婦の人が、「ちょっとだけ」という絵本を紹介しました。これは瀧村有子さんというやはり主婦の方が書かれた本で、主人公は「なっちゃん」と言う女の子です。

ある日、なっちゃんの家に赤ちゃんがやってきました。お母さんは赤ちゃんに掛かりきりで、今までのようになっちゃんにかまってやれなくなりました。


そこで「なっちゃん」はお母さんの助けを借りずに自分で自分の用事をこなそうとするのですが、中々うまくいきません。牛乳が飲みたくなってコップに牛乳を注ごうとするのですが、大半をこぼしてしまいます。コップに入ったのはほんの少ししかありません。このくだりの部分ではお母さんの共感を得るのでしょうか、皆さん納得の笑みを浮かべていました。


そこに割り込んできたのが参加したお母さんに連れられてやってきた年長さんでした。


「すごいじゃん! なっちゃんはちゃんとコップに注げたんだね!」


一瞬間が空きましたが、別のお母さんがこう言いました。「そうなんですね。なっちゃんはちゃんと注げているんです。そりゃあ、こぼすほうが多かったかもしれませんけど、私たちってどうしてもうまくいかないほうばかり見つめて、「出来てない」って思っちゃいますけど、考えてみればなっちゃんが誰にも教わらないで見よう見まねでコップに注げたと言うことは、すごいことなんですよね。」

読書


前にも書きましたが、子育てに限らず「この年齢になればこれが出来て当たり前」と言う目線で他人に接している自分に気がつきます。それは「願い」と言うよりも「欲」に近いものだと思います。

そのような「色眼鏡」で子供や部下を見ていると、どうしてもその人の「至らない点」ばかりがクローズアップされて、肝心の「成長していること」が見えてきません。

これは神経質症の「自己肯定感」の低さにも直結しています。


「出来たことを認める」と言うのは実際には中々難しいものです。よほどその人の事を観察していないと出来ない芸当です。ですからまずは「出来て当たり前」とする「色眼鏡」をはずしてみたらいかがでしょう。

そうすればいくらかはありのままの子供や部下の姿が見えてくるかと思います。あの年長さんのように、他の大人が気づかなかった変化も見逃さず褒めてあげられる素直な観察眼が養われてくるでしょう。