『ゆだねる』と言う選択 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

私たちが重大な危機に陥ったとき、何とかそれを乗り越えようとする力は誰もが確実に持っているものです。しかしその方向性を考えて見ますと、大きく二つに分かれてくるように思います。一つ目は『大いなるもの、例えば神や仏にゆだねる』と言う方法です。もう一つが何とか『自分の力で解決しようとする』方法です。

『神や仏・・・』などといいますとすぐに『宗教』を連想されると思いますが、宗教の中にも『自分の力で解決する』と言うやり方を主眼としているものもあるのです。

例えば禅宗などは自らの悟りの得を教えていると言う点では『自ら解決する』方向と言えるでしょう。しかし必ずしもこの宗教は此方、と言う風に分けられるものではなく、多くの宗教では両方兼ね備えているものが多いような気がします。

ステップ1


さて、わが森田療法はどちらなのでしょうか。私は今まで『症状を治すのも自分、学習して実践をして体得していくのも自分、誰も教えてくれません。自分で食いついて踏破しなければなりません』などと話しているところから、森田は典型的な『自分の力で解決していく』療法だと思っているかたが大半だろうと思います。

また神経症者は真面目で努力家、自尊心が強くて融通の利かない人が多いですから、何か問題が生じたとしてもとことん自分で解決しようとするので、余計そういうイメージが先行しているのだと思います。

確かにそういう面はありますが、そうとばかりもいえない点もあると思うのです。


とあるアルコール依存症の人と話していたときに、森田療法とアルコール依存症の『回復のステップ』ってなんか似てるよねぇ。と言う話題で盛り上がったのです。

ちなみにアルコール依存症の自助グループに「AA」と言うのがありますが、そこで『回復の12ステップ』として掲げているものがあるのです。

例えば『第一のステップ』にはこうあります。

『われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた』

と言うものです。


素人考えでは、アルコール依存からの回復を望むのであれば、一番最初にアルコールからの『決別』を表す言葉が来てもよさそうです。でも最初に『自分は無力である』ことを認めるわけですね。と言いますか最初に自分の『無力』を認めておかないと、先に進めないようなのです。

これを森田先生の指導に当てはめて見ると、

『症状は治らない。治そうとすればするほど治らなくなる。神経症の症状については無力であり、受け入れるしかない。症状を持ちながら生きていくしかない』

・・・どうです。AAと同じ事を言っているでしょ。



その後AAの回復のステップでは『自分を越えた大きな力が、私たちを正気に戻してくれることを信じるようになった』、『私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮(実際的にはAAミーティングの仲間たち)にゆだねる決心をした』と言う風に続きます。

之も森田療法に当てはめてみますと・・・

森田先生は神経質患者に、良くこんな言葉をかけていたそうです。
「(症状を治すような)やりくりするのはやめて、すべて自分に任せなさい。』

なんかここだけを聞くと、すごく尊大な先生のようなイメージですよね。でもこういうことなんです。


ステップ2


『あなたは今までもやりくりしてにっちもさっちも行かなくなってしまったんでしょ? だったらもう計らうのをやめて全部僕に任せて、僕のいうとおりにやって御覧なさい』と言うことなんです。

いかがですか。ほとんど同じと言ってもいいですよね。


森田先生はこのやり方が一番、最も端的に計らいから脱して、あるがままのものを見る目を取り戻すことをご存知だったのだと思います。つまりにっちもさっちも行かないと言う『底尽き体験』をした人が、自分の無力を悟って森田先生に身を任せる決心をして初めて正気に戻れたと言うことなんです。

アルコール依存症と神経質症。一見まったく関係なさそうな両者が同じ回復のステップで良くなっていくなんて、なんか不思議ですよね。


参考・・・『AAの回復の12ステップ』比嘉千賀先生講演記録より