日曜講話『森田とHさん』 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

いきなりですが、記事とまったく関係ない話をします。

先だってのゆるきゃらグランプリで、わが栃木県の『さのまる』が優勝いたしました!!!

わーい! ぱちぱちぱち!・・・あれ、盛り上がってるのは私だけですか?仕方ないですね、全国ネットですもの。

ちなみに『さのまる』は栃木県は佐野市が生んだゆるきゃらです。一応設定は城下町を守る武士となっています。頭には佐野ラーメンのどんぶりをかぶり、腰には佐野名物芋フライを挿しています。

 

実はここだけの話ですがね、浜松市のゆるきゃらとはライバルなんですよ。だから今回勝つことが出来て、内心ほくそ笑んでいるところなのです。なぜかというと、宇都宮市が餃子消費量日本一と言うことで、ご存知餃子の町として売り出していますが、本当は浜松市が一位なんですね。もちろん一位奪還のために努力しているところですが、浜松市とは抜き抜かれつ熾烈な勝負が続いています。(ちょっと大げさ)

だから部門は違いますが、浜松市に一矢を報いることが出来て、非常に喜んでいるところなのですよ。

これ絶対浜松市の方には内緒ね。

 

 


さて、すみませんね。関係のない話で盛り上がってしまいました。

実は昨日、全国的に開催されている神経質者の集いの一つに参加してきました。もちろん私の担当する定例会ではないですよ。たまにしか出られませんけど、ほかの会員が運営する例会は自分のところと違ったやり方をしている場合があり、とても参考になるのです。それぞれ地元の特色を生かしたオリジナリティあふれる例会に参加することで、自分の担当する例会をより良いものにしていけたらいいなと思います。

 

昨日訪れた例会では、本部の方から講師が見えられていました。講師と言っても私たちと同じ神経質症に悩んだ先輩会員であります。地方での業績が認められて東京にある会の本部に在籍し、運営の中枢を担う重要な役職についていらっしゃいます。本部役員と言えばわかりやすいでしょうか。

その本部役員の方々が地方の幹事の依頼を受けて、それぞれの例会に講師として出かけて、森田に関するいろいろな話をされるわけです。いわば派遣講師ですね。

 

今回お話をされたのは埼玉県在住のH氏です。職業は現在公務員。市役所にお勤めです。神経質者の会の中では本部の財政のトップを任され、日夜本部の経費節減に努めていらっしゃるそうです。

もうすぐ定年らしいですが、とてもエネルギッシュで若さあふれる外見からは想像できませんでした。

昭和50年頃、就職試験を控えて吃音恐怖に陥り、神経質者の会に入会しました。その後何年かして平日にも集まれる例会がほしいよねと言う話がまとまり、大宮市に全国初めての平日夜間の例会を立ち上げました。

今回のお話しのテーマは『森田と私』。副題として ~体験からの原典理解~ となりました。

 

この後大きく5項目に分けて、Hさんの体験とそれに結びつく森田の原典を紐解きながら、話は進みました。具体的な内容はこのあと一つずつの項目について5日掛けて連載いたします。ご期待ください。

ちなみに吃音恐怖と言うことで紹介しましたが、お話を伺っている限りではほとんど気がつきません。Hさんによるとやはり発音しずらい言葉と言うのがあり、例えば『た』行の音が出ずらいとの事です。

その場合言い換えられるものはほかの言い回しや類語で何とかごまかすことが出来るそうです。例えば『卵』が発音しずらいと感じたら、『鶏卵』と表現するようにです。

 

しかし中には言いかえが出来ないものがあります。例えば昔は駅に券売機などありませんでしたから、切符を買うのにも駅員に行き先を言わなければなりません。いくら『高崎』とか『東京』が言いづらいとしてもほかの駅名を言うわけにはいきません。また結婚式の祝辞などを述べるとき、新郎新婦の名前を呼ぶわけですが、これも『多田 孝』なんて名前であってもほかに変えるわけにはいきません。

Hさんが恐れているのはそういうシチュエーションなんです。それで吃音恐怖になってしまったのです。

 

最初は吃音を治そうとしていろいろ試みられたそうです。呼吸法や自律訓練法はもちろんの事、話し方教室や落語、講談などにもクビを突込み、もちろん定番の早稲田にあるあの有名な学院にも通ったそうです。

しかし思うような結果が得られず、何気なく入った書店で私たちの会の存在を知ったそうです。

入会して初めて例会に参加したときに、心の底から受け入れられたような感触を味わったと言います。それは自分の居場所の発見であり、そのまま癒しにつながると考えられます。

 

 


そうして人から受け入れられる体験をすることにより、次に自分自身を受け止められるようになります。つまり自己受容ができると言うことですね。私たち神経質者は今までこんな自分ではダメだ、理想的な自分でないと人は受け入れてくれないと言う不安感、恐怖感の中で生きてきた人が多いのです。つまり自己否定が考え方の癖として身についてしまっているのです。しかしほかの人たちからそのままのあなたでいいですよ。症状を持ったままでも素敵ですよ。等と言われ続けると、次第に自分を受け入れられるようになってくるのですね。

 

そうして自分を受け入れられるようになると、今度は周りに居る人たちにも興味を広げることが出来ます。今まで症状に振り回されて自分の事だけで精一杯、周りを見る余裕なんでまったくなかった神経質症の人たちが、周りの人たちにも関心がもてるようになります。ああ、苦しんでいるのは自分だけではないんだ、あの人は私よりも症状がきつそうなのに、頑張っているんだなぁ、と言うような平等観や包容力が身についてまいります。

 

つまり、

 

人から受け入れられる(居場所の発見、癒し)

→自分を受け止められる(自己受容)

→人に関心が行く(平等観、包容力)

→人から受け入れられる(居場所の発見、癒し)

→ ・・・・・・・・・

 

と言うように一つ一つの体験が良い循環となり、その人のしつこかった感情態度をより良い方向に導いてくれる力となっていくのです。もちろんある程度会に継続して参加する必要がありますけれどね。

さて、次回から5回にわたりHさんの体験を交えた原典の解説が始まります。

最初はオポチュニティー(機会)についての話になります。

それではよろしく!