こんにちは。人との間に心の壁を作りがちな技コの佐藤です。仲良くなりたいと思ってもらえるなんて本当にありがたいですね。埼玉シナジー、あると思います。
先日、成人式に行ってきたのですが久しぶりに中学校の同級生たちと会いました。月日が経つのは早いもので5年もあれば人は変わってしまうものなのだと気づかされました。髪を染め、パーマをかけ、ピアスを開け、メイクをして、もうあの頃のみんなはここにはいないのだと思いながら久しぶりの談話に花を咲かせました。
ちなみに成人式後に一緒に飲みに行く約束をしていた友人は別の人たちと飲みに行きやがりました。仕方ないので一人で家でペペロンチーノ作って食べました。おいしかったです。ぼっち最高!!!

さて、今回の幹ブログのテーマ選びに現在進行形で悩んでいるのですが、僕がアニオタだという自己紹介も兼ねてアニメの話をしようと思います。僕の通う文化構想学部はご存じの方も多いようにアニメを授業で見たり卒論のテーマにすることで知られています。そのためか文構にはアニメ好きの人が多く、かくいう僕もアニメオタクです。
もしかしたら同好会員の中にもアニメオタクがいるかもしれません。アニオタと一言で言ってもそのタイプは千差万別です。声優オタクや作画オタク、ガチ勢からライト勢までたくさんの人がそれぞれの楽しみ方でオタクをやっているでしょう。僕は結構雑食タイプなので、ラブコメ・スポ根・SF・異世界・セカイ系などのジャンルは問わずに好きですし、古めのアニメやカートゥーンとかも好きです。あとはきららアニメとかでキャラ萌え・カプ萌えしたり、「〇〇たん可愛いよ~」「〇〇は俺の嫁」みたいなことをひとりごつようなキモオタであることも自負しています。
なんとなく僕のオタク度を知ってもらったところで、アニメの魅力について語っていきたいと思います。実のところ僕がアニメを好きな理由はアニメの本質、すなわちアニメーションであることに最近気づきました。だからここからはアニメオタクというよりアニメーションオタクとしてアニメーションの魅力を伝えます!

「アニメーション」の有名な定義としてノーマン・マクラレンというおじさんが次のように言いました。

「アニメーションは絵を動かす芸術ではなく、動きを描き出す芸術である。」

深いこと言ってんだなってことが伝わってきます。わかりやすくイメージするなら、パラパラマンガを想像してみてください。例えば1ページ目と2ページ目、2ページ目と3ページ目ではそれぞれのページの絵が微妙に違っていることが分かります。それを繰り返すことで絵が動いているように見えるわけです。マクラレンおじさんはこのページ間の「違い」を生み出すことがアニメーションの本質であり定義なのだと言っているのです。

まだよくわからないので身近な例を出しましょう。『呪術廻戦』(第2期)の宿儺VS魔虚羅の戦闘シーンは圧巻です。手描きの質感であそこまで描けるテレビアニメは異次元です。あとは『ハイキュー!!TO THE TOP』の12話で星海光来のプレーシーンもかっこいい(OYMDもあのレベルのレシーブをやってほしい)。両シーンに共通するのはとんでもなくかっこいいということです。それぞれのシーンを0.5倍速とかで見ると一枚一枚の絵の「違い」が分かります。『ハイキュー!!』で言うなら、星海の片手レシーブのシーンは何枚かの絵の連続で構成されています。それこそパラパラマンガの原理と一緒です。『呪術廻戦』でも同じように動いているように見えるのは何枚もの静止画が連続しているからです。

『呪術廻戦』と『ハイキュー!!』のアニメーションがかっこいい理由は「違い」の描き分けにあります。星海がレシーブをする瞬間は非常に多くの枚数の絵が使われています。絵の枚数が多いと映像のカクカク感が減って、よりリアル感が増します。いわゆる神作画というやつです。もちろん絵を描く枚数は通常のアニメーションより増えるのでこのようなシーンを作るのは大変ですがめちゃくちゃかっこいいと感じさせてくれます。

しかし、『呪術廻戦』や『ハイキュー!!』のかっこよさはさらにほかのところにもあります。神作画とは言え静止画の連続ですからキャラクターの動きをミリ単位で描き分けることは難しいです。

余談ですが『かぐや様は告らせたい』の第3話エンディングアニメ「チカっとチカ千花っ♡」はそのミリ単位の描き分けを立った一人のアニメーターがやってのけたことで有名なアニメーションです。見るとわかります。すごいです。

話を戻します。ミリ単位の作画は確かに難しいです。それでもかっこよさを追求するためにはできるだけ多くの枚数の絵を描かなければなりません。どうすればいいか。そのためにアニメーターたちはかっこいい瞬間だけを切り出して絵にしました。みなさんも自分のバレーのプレー動画を見返すときにスロー再生で見ることがあると思います。見ていくと自分がとんでもなくダサいポーズになっている瞬間がありませんか。アニメーションではそれらのダサい瞬間を無くし、かっこいい瞬間だけを切り出すのです。かっこいい瞬間の連続がアニメーションにダイナミックさを生み出します。これが『呪術廻戦』や『ハイキュー!!』のアニメがかっこいいと感じる理由になるのです。

ここまで聞けばマクラレンおじさんのアニメーションの定義「アニメーションは絵を動かす芸術ではなく、動きを描き出す芸術である。」の言わんとしていることが理解できそうです。かっこいい瞬間だけを切り出してつなげるように、アニメーションにはアニメーターの恣意性が見て取れます。それはダサいところやアニメーションにとって不要なところは描かないということです。バレーのレシーブという一連の動きをどのように切り出していけばかっこよく見えるか、ということが簡単に言えばマクラレンおじさんの定義なのです。

さて、長々とアニメーションについて語ってしまいました。なんだかレポートみたいな文章で面白みが全くないですね。ごめんなさい。オタクは語りだすと止まらないのです。でもなんとなく僕がどんなアニオタか伝えられたと思います。さすがに普段アニメを見てるときいつもこんなことは考えてませんが、好きな作品や授業で扱う作品はこんな見方をしたりします。りゅうせいと話すときはこんな感じです。

もうちょい続きます。

どうしても最後に語りたいことが見つかりました。作画崩壊についてです。実は『ハイキュー!!TO THE TOP』は作画崩壊が多い作品だとしてネット上で軽く炎上していました。作画崩壊とはアニメの作画においてキャラクターの造形がおかしかったり、空間がゆがんで絵としての整合性がとれていなかったりする時に呼ばれる現象です。確かに宮侑がお前誰?みたいな顔してたり、大地さんの首がとんでもない方向に曲がってたりする場面があります。確かにアニメーションがかっこいい瞬間だけを切り抜くのならば作画崩壊はあってはならないことです。たった1枚の作画崩壊でかっこよさが失われてしまうかもしれないからです。しかし、僕は作画崩壊もまたアニメーションの魅力だと思います。

作画崩壊が魅力とはどういうことでしょう。アニメーションの定義と矛盾するように思えます。つまるところ僕は次のように考えます。アニメーションの魅力は①かっこいい瞬間を切りだす点と②作画崩壊の2点にあるのです。

なぜ作画崩壊が魅力になるのかを考える際に、さっき出した自分のプレー動画を見返す例をもう1回考えます。上記したように自分のプレー動画をスローで見るととてつもなくダサい動きをしている自分を見ることがあります。これは現実における作画崩壊と言えます。これをアニメーションにするときに取り入れているわけです。かっこいい瞬間を切り出しているんだからわざわざダサい瞬間を入れなくてもいいように思うかもしれませんが、このダサさが動きにリアリティとダイナミックさをもたらすのです。わかりやすく言うなら、どんなに動きがダサくても一生懸命な人はかっこいいよねって話です。

あえて線をぶらしたり、めちゃくちゃに描いたりすることである種のかっこよさが出てきます。(ここからちょっと『ONE PIECE』のネタバレ含みます)アニメ『ONE PIECE』でルフィがギア5の能力を手に入れたシーンが最近放送されました。ギア5はふざけた能力とまで言われるほどでたらめに強いです。能力発動シーンではルフィの身体や周りの地面や岩がグニャグニャに描かれます。まるでゴムゴムの実の能力が空間にまで作用しているようです。地面や岩がゴムのようになるなんてことは現実ではありえないことですから、作画においては整合性が取れていないことになります。しかしありえないことを可能にしてしまうのがアニメーション。むしろあえてゴムゴムの実の能力を誇張するように「ふざけた」絵をかくことでギア5の「ふざけた」能力を表現しているのです。ギア5の発動シーンは見ててめちゃくちゃ面白いです。

あえてダサい瞬間を入れるのが作画崩壊の魅力でした。ダサい瞬間というのはアニメーションで言えばへたくそな絵です。幼児が描くようなへたくそな絵を効果的に最大限活かしきったのが『ONE PIECE』のギア5のシーンです。へたくそな絵が混ざっていたとしても『ONE PIECE』はなぜかかっこいいと感じさせます。それは自分のバレーのプレー動画を見るときの例にまた戻ればわかります。かっこいいプレーでもある瞬間だけはダサいことがあると言いました。つまり人間の動きの中にはダサい瞬間があるのです。それを理解して、時には誇張してかっこいい動きを表現することがアニメーションの魅力になるのです。ここまで言えばマクラレンおじさんの定義「アニメーションは絵を動かす芸術ではなく、動きを描き出す芸術である。」にも当てはまります。つまりよりかっこいい動きを描き出すために、一瞬のダサさ=へたくそな絵が必要になるのです。

作画崩壊はしばしば非難の対象になることがあります。へたくそな絵をプロが描いているのだから仕方ないことでもあります。でも僕はそうは思いません。むしろ作画崩壊は大好きです。かっこいいのに一瞬ダサいってちょっと面白いしなんだか愛くるしくさえも感じます。アニメーションだからこその表現方法はとても魅力的ですね。

さて、長々と語ってきましたが完全にオタクの独り語りでした。こいつ普段全然しゃべんないくせに文章では饒舌になるんだなと思った方々、幹ブログは好きなこと書けるからってことで許してください。さっきも言いましたが普段アニメ見るときはこんなこと考えてないし、ごく普通のキモオタなのでアニメの話されると喜びます。アニメの話しましょう!待ってます(他力本願)

次回の幹ブログは、スタバを片手にする姿がオーラありすぎな文キャン女子です!!