幼稚園から成人までの間に住んでいた社宅は

学校や市役所、図書館、体育館、

そして市民プールまでが徒歩数分

という大変恵まれた環境だった

 

小学生の頃は毎年、夏休みになると

父に連れられて妹と一緒にプールに通った

 

水着に着替え、ご丁寧に帽子まで被り

(耳まで隠れる昭和スタイル💦)

膨らませた浮き輪を腰まで被ったスタイルで

ビーチサンダルで自宅を出るのだ

 

隣のアパートを通り過ぎたところから

プールまでが広い原っぱなので

こんな格好でも全然恥ずかしくなかった

原っぱを横切る人たちはほとんどが

同じスタイルだったからでもある

 

昭和1桁生まれの父は

プールサイドでの準備運動と

強制休憩時の甲羅干しは厳守で

我慢するのが大変だったが

ジュースを飲みながら帰るのが

疲れた体に染み渡って美味しかった

 

家の前の水道で足を洗い

自宅のシャワーを浴びたら昼寝

そんな昭和の小学生だった

 

結婚し、子どもたちが小学校低学年になった頃

ふと思い立ってプールに連れて行ったことがある

 

当時、私は既に40代💦

一緒に入るには水着が必要

ということに気づき

思い切ってできるだけ地味なものを購入した

 

が、所詮、踊る阿呆である

少しだけだが

子どもたちに

バタフライのドルフィンキックを見せたりして

結構楽しんだ

 

最近の学校では

あまり水泳には力を入れていないようだが

クロールで25mを泳げない奴は6年生にしない

と先生に脅される小学校だったし

 

平泳100m、クロール100m

背泳50m、バタフライ25m

それぞれ何回、中断して泳ぐか

のテストがあった中学校だったので

運動音痴の私でも

ほんの少しなら泳げるのだ

 

バタ足が苦手なので

クロールと背泳はほぼ泳げないが

仰向けに浮くのは好きで

温泉で人がいないとたまにやることがある