小学校の修学旅行は

鳥羽&伊勢だった

母によると

帰る早々、病で倒れたというが

そのことは覚えていない

 

が、当時流行った

ご朱印帳のような屏風開きの冊子に

行く先々で押してもらうスタンプが

とてもカラフルで

時にはキラキラ光る砂が撒かれていて

仕上がっていく様を見るのが

とても感動的だったのと

 

御多分に洩れず

ピンクの包み紙の「赤福」を

家族の土産に買って帰ったのを覚えている

 

その翌年だったかの林間学校と運動会には

ドクターストップで参加できなかった

というのはよく覚えている

皆が参加することから外れると

とかくいじめられるのが世の常だからだ

 

五体満足なのに皆と一緒にやらない

というのがどうもずるいと思うらしいが

いちいち説明するわけにもいかず

という状況は今も変わらない

 

そにために、なんとかカード

とかいうものがあるらしいが

公共交通機関を使わない

田舎での生活では全く関係がないので

たまに都会に行った時にエライ目に会うのだ

 

おっと、話が逸れてしまった

 

中学校での修学旅行先は

アンケートで決まった

当時、主流だったのは信州だったのだが

捻くれ者が多かったのか

阿蘇&秋吉台に決定

私の記憶には、初めてみた赤潮と

バスでの先生のけん玉の秘技しかない

 

高校での修学旅行先はもう決まっていて

何と例年、阿蘇だという

これは中学校が信州だから

という理由だったらしいので

中学校を恨むしかない

 

大人数なので二手に分かれ

私は行きはフェリーで雑魚寝、帰りは新幹線

別のグループはその逆

九重高原で540名ほどの生徒が揃い

期間中に誕生日を迎える生徒4名に

サプライズでプレゼントが渡された

私もいただいたのははっきりと覚えている

 

その翌日に全員で登山

さすが体育会系の公立高校だと思ったものだが

今の私の居住地の高校でも

昔は大山(だいせん)登山が

年中行事だったと聞くので

そういう時代だったのかもしれない