祖父の山寺は

山奥というよりは

里山の入り口を塞ぐような感じで

寺の本堂の裏側から道が続いていた

 

3歳半の頃

妹が生まれるからと

しばらく預けられた時は

私は覚えていないのだが

祖母から聞いた話では

毎朝、その裏山に向かって

「ご飯だよ〜!」

と叫ぶのが

祖母の日課だったように聞いた

 

近所の子どもたちが

よく面倒を見てくれていて

10人ぐらいのグループで

よく山や川で遊んだが

いつも私は最年少だったと記憶している

都会っこ&寺の子ということもあってか

とても大事にしてもらっていた

 

山には、隠れ集会所のような扱いの

木々に隠されて

ぽっかりと空いたスペースがあったが

ある時、そこに苔を敷き詰めての

パーティーのようなものに招待された

それぞれがポケットから

自慢の品を取り出して見せびらかす

そんな感じだったと思う

 

川に魚取りに誘われたこともあったが

魚がどこにいるか全くわからず

じゃばじゃばと歩き回って荒らすからか

あまり何度も連れて行ってもらった記憶はない

私は楽しかったのだが、、、

 

裏が山で道もあったので

ついふらふらと山に入ってしまう私は

小さい頃は近所の人たちに

ちゃんと見張られていたようで

有線放送で

「あの川の向こうの道を歩いていた」

「あの池の近くで見かけた」

そんな言葉を流されていたらしい

 

裏山の向こうに何があるのか知りたくて

山を超えたこともあり

当然、大人の考えるテリトリー外なので

「どこの子? えっ、あのお寺の?

 こ、こんなところまで?」

と、ちょっとした騒ぎになったこともあるとか

 

60年代の里山は

今では考えられないほどの

治安の良さがあった

 

そうそう

東日本の方々には

想像できないかもしれないが

西日本の里山は

人家から近く、人がよく入れる

険しくない山が多いため

昔は子どもの遊び場だったのだ