94歳の我が家の伯母さん。
理想は寝たきりになる事😥

だから何かにつけて病気をアピールします。
私には通用しないので、訪問医が来ると
それはそれは饒舌にあれこれ訴えて居ります。

先生も最近では「ハイハイ」って
受け流してくれますが、
とうとう「足の指の間が皮が剥けて」と訴えて

「アー、水虫ですねー」って

そりゃぁ1週間以上も靴下変えずに🧦はっきぱじゃ ネェ

そんな毎日

リハビリする気はさらさらないし、トイレも行かずにオムツしたままで😭

ついに・・

尿路感染症で1ヶ月近くご入院

汚いという概念が無い!無い‼️

担当医が若い男の先生で
「ちゃんとトイレいかないとー」
と注意されたら、即行きおった👊💢

歩けないわけではない。
面倒くさいだけ(理解不能)

でも良く思われたいという野望はある。
構ってちゃんなのです。

薬はちゃんと飲まずに、勝手に判断するし、よそ見するから落としても気が付かないし

年齢を考えればある程度は仕方ないと思うべきなのですが、あまりに自分本位過ぎて、思いやりがなさすぎる。

今月はまた入院。

父親(伯母さんの実弟ですが)が毎月抗癌剤治療で入院してるのに、
心配どころか気にもせずです。

去年暮れから病院の掛け持ちで私は疲弊しております。
今月はジジババ共に手術です。
しかも同じ日に入院って…

分身の術を修得せねば


星野監督が逝去された。

選手達よりもベンチにいるコーチ、監督達の方が馴染み深くなった昨今、ポジションは違えど現役時代と変わらぬ闘志で采配を振るっていた姿を思い出す。

原監督が無念の辞任をした時の抱き合いながら耳元で囁く優しい星野監督。
相手チームの野次に激怒してベンチから突進して行く、選手たちよりも闘志の塊だった監督。

現役時代よりも監督になってからの方が私の記憶に多い。

同じ時代を生き、沢山の勇気と思い出を頂いたことを感謝して、ご冥福をお祈りいたします。

星野仙一さんは確実にこれから先の時代にも名を残し、人々の記憶に焼き付けられて行く事は間違いない。

永六輔さんが言った「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死。二度目は人々の記憶から消えた時。」
星野仙一さんはこれからも人々の記憶の中で生き続けることでしょう。

また一人、この世から旅立たれて、自分の年齢を感じる。
知り合いやテレビで見ていた人達が周りから居なくなる寂しさがわかる年頃になったんだと…

             合掌

波乱迎えた新年😱 

 

富士山​ 私の2017年の書き初め 富士山



\ 2017年 /
書き初めメーカー

鳥 全てのことには意味がある。 鳥

偶然は必然の一部であることを心に留めて今年を乗り切る❗️

 

辛抱と愛を心に

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▼2ヶ月連続投稿スタンプ



今夜は何を観ようかな^^

「愛が微笑む時」にしようっと。。

心が潤う映画がいいかと思って選択

あれこれ考えないで、ただほっこりしたいと思った時には

優しい映画がいいですねラブラブ!

祖父母が子供のころを知らない。

当たり前だけれど、私が覚えている祖父母は

すでにおじいちゃん・おばあちゃんだったからだ。

自分の子供のころでさえ遠い記憶になり、

ゆっくり思い返す暇さえない毎日を過ごしているのだから

それも当然なのだが不思議な感覚になる。

誰だってみんな子供だった。


伊勢志摩サミットの開催で広島がクローズアップされている。

オバマ大統領が広島を訪問したからだが、

戦後70年が過ぎ、現職大統領としては初めてのことだ。

謝罪するのか否かがマスコミの焦点のようだけど、

謝罪ってどんな発言であれば満足なのだろうか・・・


戦争は国家VS国家

一方的に攻撃したらそれは侵略戦争、テロ行為

第二次世界大戦は世界中が戦った。

大義名分はどの国にもあって、平和を求めた戦争だったというが

戦争になったきっかけは何か?

何故、長期に渡って戦ったのか?

原爆投下は正しかったのか?


ただ世界中で

戦争に意義を感じていた人よりも、異議を心で叫んでいた人のほうが

はるかに多かっただろうと想像できる。


戦後処理で行われた東京裁判で、議長は戦争に至った経緯について

日本が追い込まれ、「仕方がなかった状況」を述べている。

原爆投下後に医療活動で来日したスイス人の医師は

「こんな武器を作るなら、落とした後の治療法を見つけてからにしなければ・・」

と、悲惨な状況に嘆いたという。

アメリカ人は原爆のおかげで戦争終結が早まったと言うが

当初、ドイツに投下予定だったが、降伏してしまったことで

日本に目標が変わったという話もある。

そして、原爆投下よりも前に日本は降伏を決めていたという。

70年という時間は、当時を知る人々の口をさらにさらに重く閉ざしていく。

その人にとっての真実が、他の人に真実として受け入れられるとは限らず、

一つしかないはずの真実は、人間の心を通過するとことで幾重にも枝分かれする。


原爆投下が間違っていたと、今、認めたところで

何が変わるのだろう

原爆で亡くなった人の中には捕虜となっていた外国兵士もいた。

善き人も悪しき人も、平凡な生活を生きていた人も、豪勢な暮らしの人も

一瞬にして戦死者となった。

戦争とはそういう悲劇でしかない。

敗戦国になれば、全ての原因はお前たちにあると言わんばかりの扱いを受けることになる。


原爆投下の謝罪を求めれば、韓国はさらに慰安婦問題の謝罪を声高に言ってくるだろう。

戦時下で起きたことはどんなことであれ悲惨であり、被害者がいるということである。


朴大統領が言ったように、1000年後も覚えていなくてはいけない。

ただ、いつまでも被害者の立場であってはいけないと思う。

ベトナムで韓国軍や米軍がしたことは知らん顔では話にならない。


オバマ大統領のスピーチは心に届くものだったと私は感じた。

70年という時間は人の寿命の終わりに近づくほどの長さであることを思えば

次の世代に何を正しく伝えていくかということのほうが重要である。

正しい言葉で、思いやりを含んだ言葉で、人として生きる戒めの言葉で・・・












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