針尾送信所の電信室見学 | 稜山泊

針尾送信所の電信室見学

一魚一会での昼食の後、兄弟を連れて針尾の送信所に来てみました。兄弟も来たことは有ると言っていましたが、中に入れることは知らなかったというので。


 ここには、帰郷後の2018年7月に訪問していました。今回は、遠景の写真は撮りませんでした。この写真は、当時に撮った写真です。3本の電波塔が約300mの間隔で、正三角形で配置されています。電波塔外観の写真は、2018年の記事に掲載しています。最後にリンクで紹介しますので、ご覧ください。
 この施設の正式名称は、「旧佐世保無線電信所」といいます。戦時中の大日本帝国海軍の施設跡です。一般には「針尾送信所」と呼ばれています。前回の報告時に、岳父から真珠湾攻撃の開戦合図を送った送信所と聞いたと紹介しています。有名な「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号文ですね。Wikiによると、実は船橋送信所から送ったとも説明されていますが。


 前回来た時は、第3号塔の内部が見れるだけだったのですが。今回は、電信室の内部が見れる様になっていました。この写真が電信室が有る棟の外観です。右側の電波塔が第1号塔です。そして、左側の開いた扉から入って、内部を見学できました。
 ここで紹介する内部は、この写真の中央部、正面入口に見える場所の内部と思っていました。途中の写真は省略しますが、入口を入って、右に折れて建物の中心部に向かいます。


 内部の最初の写真は、建物の中央入口から覗き込んだ様な方向、つまり裏側に向かった方向です。この建物は、電信室なのですが、電信室を少し解説します。電信室とは、ツー・トン・ツーとかいう表現で説明されるモールス信号を送信する場所なのですが。送信操作は、操作者が電鍵をモールス信号のタイミングで叩くだけ。それを、発振器で電波にして飛ばす事で、遠方にモールス信号を送るのです。
 何を言いたいかというと、電信室は、20cm程度の電鍵と発振器、それに電源装置が主な構成要素です。そう、施設の殆どは、発電機を含む電源装置だったのです。そして、この写真に写った部屋は、その電源室だったのです。


 建物の正面方向を内部から見る写真となります。見学している間では気付かなかったのですが、建物の中央入口ではなく、右端の部分だという事がわかりました。見えている窓と最後に紹介する写真を比較して頂くと分かります。
 特に、解説は見ませんでしたが、中央部分の台座に発電機とか蓄電池が設置される。そして、右側の配電装置に接続されたという感じだったでしょう。


 そして、この建物の中で、唯一、最近作成された展示物がありました。最初に紹介した遠景の写真を空から見たような角度の模型となります。


 最後に建物の近景を紹介します。中央部分に建物の正面入口に見える入口があります。多分、装置の搬入口だったのでしょうね。屋外の天井クレーンが見えています。建物の中でも、可動式の天井クレーンが見えていました。
 そして、中央入口に見える部分の右側に注目してください。4枚目の写真で見える窓を外側から見た感じが分かると思います。内部の窓が無い通路を通ると、建物のどの部分に居るのか分かりませんでしたが。この写真と見比べるとよく分かります。

 この施設は、国道202号線の交差点に看板が立てられていて、会場まで誘導してくれます。元門衛所が有った場所に見学者受付所が有り、ポランティアの方がいろいろと説明してくれます。
 見学は、9時から16時まで毎日見学できます。上記の電信室に入る時は、入口に設置されたヘルメットを被って入ります。古い施設ですので、落下物に注意と言うところですね。長崎に来訪時には、是非、ご覧ください。

 2018年に紹介した記事のリンクを紹介しておきます。
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)