岐阜マンホール探しの旅9:2024.05.01(揖斐郡池田町)マンホールカード1/2 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

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2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 

5月1日(水)

 

 

揖斐郡池田町


池田町には1万年以上前から人が生活していた歴史があり、旧石器時代までさかのぼる。その後の各時代もたくさんの遺跡が知られており、特に古墳時代では県内有数の古墳密集地として有名で、中世には土岐、稲葉、国枝氏らが城を築いた。
池田町での「揖斐茶」は室町時代からの長い歴史を持っている。姫路城を築いた池田輝政の父恒興の墓を代々守ってきた龍徳寺が、池田家に献上してきたのが池田のお茶で、元々は薬としても生産されていた。1793年に揖斐郡六之井出身の五十川兵治郎が池田町のお茶を煎茶として本格的に生産し始めた。江戸時代には幕府お墨付きの「江戸幕府御用番茶」を申し付けられたとも言われている。さらに江戸末期から明治初期にかけて、五十川源左衛門が製法・品種の改良を進めた。現在も、瑞草園など数多くの製茶会社が存在する。

揖斐郡(いびぐん)

 

 

 

 

 

  池田町庁舎

 

 
 

 

 

 

 

 デザインの由来

 

池田町のマンホール蓋は、山桜と町章をデザインしたもの です。山桜は町の木に指定されていて、名所「霞間ヶ渓」の 由来に関係しています。山麓部は土石流が発生しやすく、昔の人は薪や柴などを採りすぎないよう、時に伐採を禁止する鎌留めをして災害防止に努めました。そこは鎌ヶ谷と呼ばれ 、次第に山桜が繁殖していき、江戸時代後期に桜の名所として有名になりました。そして、春には桜色の霞がかかっているように見えることから「霞間ヶ渓」の字になったとされています。災害との闘いの歴史が産んだ桜の名所は、現在では国の名勝及び 天然記念物として文化財に指定され、多くの観光客で賑わっています。


 

 

 

 配布場所・時間

 

池田町役場

住所 : 岐阜県揖斐郡池田町六之井1468-1 水道課(1階)
電話番号 : 0585-45-3111
配布時間 : 8:30~17:15 (年中無休)
配布時間 ただし、休日、年末年始に配布希望の場合は、平日(8:30~17:15)に要予約。

 

 

 

 
 

 

 

 
 
 
 
 
一回り小さいマンホール
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 


 

 
 
 
再见!