静岡マンホール探しの旅1 :2024.04.06(浜松市)マンホールカード1/2 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
 
4月6日(土)
 

 

浜松市

 

県庁所在地である静岡市を上回る人口を持ち、川崎市(神奈川県)、北九州市(福岡県)、堺市(大阪府)に次ぐ県庁所在地以外の市で4番目の人口を有する。静岡市とともに北九州・福岡大都市圏に次ぐ、全国5位の規模を有する静岡・浜松大都市圏の中心都市として機能している。面積は静岡県内最大である。

ヤマハや河合楽器製作所、ローランドや鈴木楽器製作所といった多数の楽器メーカーが立地する「楽器の街」として知られ、「楽都」とも称される。

 

 ※ 令和6(2024)年1月1日に、中央区(ちゅうおうく)、浜名区(はまなく)、天竜区(てんりゅうく)の3区に再編した。

中央区:再編前の中・東・西・南区・北区(三方原地区である。

 

 

 

  犀ヶ崖資料館


犀ヶ崖(さいががけ)資料館は「三方ヶ原の戦い」及び「遠州大念仏」についての理解を深め郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としている。

 

 

係のおじさんが

「どこから来たの・・・

名古屋から!

朝一で来た男性は神奈川県から来たと言っていたよ」

「まさかね、こんなカードで人が来るのか疑問だったけど、週末結構人がくるんだよね。

配布初日はかなりの人が並んでびっくりしたよ。」と話す。

「この後はどこに行くの?・・・

浜松城かね。桜もきれいだから、ゆっくり楽しんできて」と笑顔で話すおじさん。

 

ついでにトイレをお借りした。
 
 
 
 
 
 

 デザインの由来

 

徳川家康公は、浜松の地に「浜松城(出世城)」を築き、17年間城主を務めたのちに天下統一を成し遂げた、まさしく「出世大名」。その生まれ変わりとされているのが、はままつ副市長である出世大名家康くんです。ゆるキャラ®グランプリ2015ではグランプリを獲得しました。チャームポイントは浜名湖うなぎのちょんまげ。「まつり」と聞けば血が騒ぎ、やらまいか精神旺盛で超前向き、特に子どもの笑顔は元気の源です。将来の夢は「浜松が日本一元気なまちになること」。浜松にお越しの際はぜひ家康くんに会って出世運を授かってください。

 

 

配布場所・時間

 

犀ヶ崖史料館
住所 : 静岡県浜松市中央区鹿谷町25-10
電話番号 : 053-472-8383
配布時間 : 9:00~17:00

ただし、月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始(12/29~1/3)は配布しない。

 

 

 
 
座標軸?
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

【紹介資料】 浜松城跡の西北約1kmにある渓谷で、この谷地形が長さ約120m、幅45mにわたって、史跡指定されています。
浜松市の北方にあたる三方原台地で、元亀3年(1572)12月22日に徳川家康と武田信玄による戦がありました。これが、世に言う「三方原合戦」です。家康は、この戦に大敗して浜松城へ逃げ帰りました。夜になって徳川軍は、犀ヶ岳の近くに陣取った武田軍を急襲したところ、地形に詳しくなかった武田軍は不意をつかれ、誤って崖下に落ち、多くのの人馬が死んだと言い伝えられています。このとき、崖に布製の橋を掛ける計略を用いたと言う伝承も残されています。
三方原台地が侵食されて出来上がった渓谷で、台地の西に向かって深く入り込んだ谷地形を作っています。渓谷は全体で東西に長さ約2kmで、犀ヶ崖付近では幅は50m程で、両岸は絶壁となって谷底までは40m余りあったことが知られています。しかし、古戦場であった渓谷も、周囲が宅地化し道路拡幅等で埋め立てられたりして、崩壊防止のため護岸の施された史跡指定地が約120m、雑木林と竹薮でおおわれた谷地形として残るのみとなりました。
(静岡県教育委員会1997『静岡県文化財ガイドブック 中世以降の史跡』より)

 

 

 

 

 

 
 
 

 

再见!