2024年1月6日(土)
13:00
唐戸桟橋
巌流島に行くにはチケットを購入。
「市立しものせき水族館 海響館」の建物
3層からなる球状の展望室の最上階は、日本有数の143m。
片道約10分で巌流島に到着する。
13:54
巌流島
関門海峡に浮かぶ巌流島の正式名称は「船島」。島の形が舟に似ていることからそのように呼ばれている。慶長17(1612)年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになった。
決闘が行われた当時はの巌流島の面積は、現在の1/6。
帰りの船は14時15分。残り15分でこの島を1周しなければならない。15分の船に乗り遅れれば次が14時55分・・・時間がかなり空くのでここは急いで回る。
島の情報
船島(巌流島)
所在地 : 下関市大字彦島字船島648番地
島の周囲 : 約1.6km
当時の面積はわずか17,000㎡。そのあと、明治から大正にかけて埋め立て工事が行われ、現在では当時の約6倍にあたる103,000㎡になった。
現在は無人島だが、1973年まで人が住んでいたこともあった。
島の面積 : 約10.3万㎡(※島の約1/3を下関市が、2/3は民間企業が所有)
龍馬と お龍も巌流島に上陸?
巌流島は、慶長17年 (1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地 として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。
慶応3年(1867年)春、下関 (本陣 伊藤邸) に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍。ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。
どこで花火を上げたかは皆様の想像にお任せいたします。
巌流島は、慶長17年 (1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地 として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。
慶応3年(1867年)春、下関 (本陣 伊藤邸) に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍。ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。
どこで花火を上げたかは皆様の想像にお任せいたします。
時間がないので走って移動。
巌流島文学碑
舟をイメージした碑には、画家・古舘充臣氏が描いた武蔵・小次郎の姿と、村上元三作『佐々木小次郎』の一節が刻まれて、側には「巌流島 武蔵小次郎決闘の地 慶長17年4月13日(1612年)下関市大字彦島宇船島648 昭和61年3月吉口建之」と書かれた木碑が建てられている。
これは、明治四十三年(1910)に船島の 開鑿工事(工期1908~1910)が完了したのを記念して建てられた碑です。
はじめは、島の中央に建てられていましたがいつの頃かこの場所に移されました。
いまでも佐々木巌流を偲び、手を合わせる方が途絶えません。
本体・自然石 高さ・120cm幅・65cm厚さ・45cm
台座の高さ・100㎝