2024.01.06 2泊3日の福岡県北九州市旅行:山口県下関_巌流島① | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
 
2024年1月6日(土)

 

13:00

 

  唐戸桟橋

 

 

巌流島に行くにはチケットを購入。

 

 

 

本数が少ないので要チェック!!
 
 
 
 
 

 

 

 

13:45

 

 

 

 

 

 

 

右の列は門司港行き。

 

 

 

 

 

 観光スポット情報

 

巌流島連絡船(唐戸桟橋発着)
巌流島まで片道約10分。船内では巌流島の歴史や両岸風景の案内もあります。

住所 : 〒750-0036 下関市あるかぽーと1-15
運航会社 : 関門汽船(株) TEL 083-222-1488
運航日 : 毎日
のりば : 唐戸1号桟橋(下関グランドホテル横)
料金 : 大人900円・小人450円(往復料金)


始発便/9:05 最終便(巌流島発)/16:55(冬季は16:15最終)
おおむね40分間隔で出発

 

 

 

「市立しものせき水族館 海響館」の建物

 

 

 

 

唐戸市場と関門橋

 

山口県のしものせき遊園地「はい! からっと横丁」が2023年10月31日(火)をもって営業を終了します。 2013年に開園し、10年間で閉園となります。 営業終了は、下関市との定期借地契約の期間満了に伴うものです

契約は2024年4月1日から3年間延長されるということです。

 

 

全長153mの「海峡ゆめタワー」

3層からなる球状の展望室の最上階は、日本有数の143m。

 

片道約10分で巌流島に到着する。

 
 
 
 
 
 

13:54

 

  巌流島

 

関門海峡に浮かぶ巌流島の正式名称は「船島」。島の形が舟に似ていることからそのように呼ばれている。慶長17(1612)年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになった。

決闘が行われた当時はの巌流島の面積は、現在の1/6。

 

 
 
 
 
帰りの船は14時15分。残り15分でこの島を1周しなければならない。15分の船に乗り遅れれば次が14時55分・・・時間がかなり空くのでここは急いで回る。
 
 
 

島の情報

船島(巌流島)
所在地 : 下関市大字彦島字船島648番地
島の周囲 : 約1.6km

当時の面積はわずか17,000㎡。そのあと、明治から大正にかけて埋め立て工事が行われ、現在では当時の約6倍にあたる103,000㎡になった。

現在は無人島だが、1973年まで人が住んでいたこともあった。
島の面積 : 約10.3万㎡(※島の約1/3を下関市が、2/3は民間企業が所有)

 

 

 

 
 
龍馬と お龍も巌流島に上陸?
巌流島は、慶長17年 (1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地 として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。
慶応3年(1867年)春、下関 (本陣 伊藤邸) に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍。ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。
どこで花火を上げたかは皆様の想像にお任せいたします。
 
 
 
時間がないので走って移動。
 
 
 

 巌流島文学碑

 
舟をイメージした碑には、画家・古舘充臣氏が描いた武蔵・小次郎の姿と、村上元三作『佐々木小次郎』の一節が刻まれて、側には「巌流島 武蔵小次郎決闘の地 慶長17年4月13日(1612年)下関市大字彦島宇船島648 昭和61年3月吉口建之」と書かれた木碑が建てられている。
 
 
 

 

 

もう1つの

「巌流島の戦い」

1987年10月4日に巌流島で行われた、アントニオ猪木とマサ斎藤によるプロレスの試合。照明代わりに、コーナーポストにかがり火が立てられて、観客なしのノーピープルマッチで行われ、2時間5分14秒、猪木が裸絞めで勝った。1991年12月18日には、馳浩対タイガー・ジェット・シン戦も行われ、1時間11分24秒、馳が裏投げでKO勝ちした。

 

 

 佐々木巌流之碑

 

碑文に「船島開鑿(かいさく)工事成功之際建立」とある。

船島とは巌流島の正式名である。

明治43年(1910)当時は、島の中央にあった。ちなみに、「巌流島」の名前は、敗れた小次郎の剣の流派の名にちなむもの。

 

 
 
 

これは、明治四十三年(1910)に船島の 開鑿工事(工期1908~1910)が完了したのを記念して建てられた碑です。

はじめは、島の中央に建てられていましたがいつの頃かこの場所に移されました。
いまでも佐々木巌流を偲び、手を合わせる方が途絶えません。
本体・自然石 高さ・120cm幅・65cm厚さ・45cm
台座の高さ・100㎝

 

 


 

 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

 

再见!