福岡マンホール探しの旅1:2024.01.04 門司港駅付近にあるデザインマンホール | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

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2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
 
2024年1月4日(木)
 

 

 

門司区

 

1963年(昭和38年)2月10日に北九州市が発足するまで存在した旧門司市の市域に相当する。九州の北端、企救半島にあり、同半島の大半を占める。西側は関門海峡を挟んで下関市と向かい合い、東側は周防灘に面し、南側は小倉北区・小倉南区に接する(→位置)。本州から九州への玄関口であり、日本海と瀬戸内海を結ぶ海路を押さえる場所でもあり、古くから交通の要地であった。

 

 

 

 
 
 
 

 

  バナナの叩き売りの発祥の地

 

バナナの叩き売りとは関門地域で発展したと言われる競り売りでバナナを売る手法。

 

 

 

日本におけるバナナは明治時代後期以降、台湾・基隆の商人が神戸港に持ち込んだのが始まりとされている。当時台湾は日本の領土であり、大量に荷揚げされるようになり、日本において庶民が気軽に購入できるようになった。地理的に台湾と近い門司港はバナナの流通拠点として大量に荷揚げされることとなった。

通常、バナナは完全に熟していない青いうちに運び、問屋の地下室(「室」と呼ばれていた)で熟成させて各地に出荷されるが、まれに輸送中の船内で熟成が進みすぎたり(いわゆる「籠熟(かごうれ)バナナ」)、傷がついたりしたものは商品価値が大きく落ちてしまう。当時は保存の技術がないためそのまま廃棄されていたことから、換金のために廃棄前にバナナを売り切ってしまっていたのがバナナの叩き売りの始まりとされている

 

 
 
大正時代初期に福岡県門司市(現北九州市門司区)の門司港周辺で行われたのが発祥と言われている。
 
バナナの叩き売りは、2017年4月、「関門ノスタルジック海峡」の構成文化財の一つとして、日本遺産に認定された。
 

 

ていたん&ブラックていたん 
デザインマンホール

 

 
門司区のマスコットキャラクター「じーも」とコラボしたマンホール。
 
 
4種類のオリジナルマンホール蓋が北九州市内4か所に設置されている。

【設置場所】
・勝山公園(小倉北区)
・門司港駅前広場
・門司港レトロ(門司区)
 
 

 

 

周囲の五つの花びらは、合併による旧5市の一体化を表し、中央は北九州の “北”、九州の “九” および “大” の字を表しています。また星型に図案化されているのは、歯車で工業を、放射形で市の発展を表現しています。

 

 

 

 

市の木イチイガシの葉と実のカラーデザイン

 

 

 

斜め格子地模様に市の花ひまわりのデザイン

 
 
 
 
 
 

 

 観光スポット情報

 

JR門司港駅
住所 : 北九州市門司区西海岸1-5-31
電話番号 : 093-321-8843

 

 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

 

再见!