7月22日(土)
19時に居酒屋を予約をしているのでホテルを出る。
青森の道は…白線が消えているところが多いので市内を走行するときは気を付けたほうがいい。
雪国の地域では、
除雪車が舗装ギリギリまで削るので、道路の白線なども一緒に削ってしまうケースもあり、センターラインや横断歩道が少しずつ消えていくそうだ。
また、アスファルトがガタガタするのは
ひび割れに水が浸み込み、昼は解けて夜は凍る。凍ると膨張して、ひびが大きくなるから。
津軽じょっぱり漁屋酒場
じょっぱりとは、津軽弁で「意地っ張り」「頑固者」を意味する言葉。
「津軽じょっぱり漁屋酒場」の入口上部には、ねぶた師北村春一氏、外崎白鴻氏が製作した大きな「ねぶた」が掲げられている。
■ お店の特徴
本州最北の地青森。竜飛岬を有し、日本海に面する「津軽地方」。多くの有名漁港を有し、太平洋に面する「南部地方」。三つの海に面して本州最北の大間岬を持つ「下北地方」と大きく三つにわかれる。それぞれに歴史が有り、郷土料理がある。また青森全13蔵の地酒が置いてある。
時代劇で見る「くぐり戸」をかかんでお店の中に入る。
店内は薄暗い。
突き出し
豪勢な突き出し。すき焼きと湯豆腐。
食べ方はおばちゃんがレクチャーしてくれた。
箸置きだと思っていたものが、実は秋田銘菓【もろこし】で食べられる。
「あずきの粉」を使った干菓子。干菓子といえば一般的には「米粉」を原料としたものが中心。だから、この「あずき粉」を使うという点は、秋田もろこしの大きな特徴のよう。
『もろこしの意味は、もろもろの菓子に越えて風味よし』
江戸時代中期の18世紀前半、久保田(秋田)藩主である佐竹公が国替えの際、 家臣の旅の疲れを慰めようと作らせたのが始まりで、佐竹公があまりの美味しさに「諸々(もろもろ)の菓子を越したる風味」と賞賛したことから名付けられたといわれています。
突き出し:すき焼き
真ん中の席で津軽三味線の演者が座って演奏を行う。
19時から三味線生演奏。
撮影禁止ということでない。
生姜味噌おでん
■ 主な伝承地域:青森市
青森市周辺では、おでんをすりおろしたしょうが入りの味噌だれで食べるのが普通である。この食べ方が生まれたのは戦後の闇市の屋台で、当時、極寒の真冬に北海道・函館へわたる青函連絡船に乗るお客さんの体を少しでも温めようと、屋台のおかみさんがおでんにしょうが入り味噌をかけて出したのがはじまりという。
津軽焼味噌
ふわっと広がるコーヒーのほろ苦さを楽しめるお酒。しかし…焼酎が濃すぎて…残してしまった。
青森のばくだん
「ばくだん」の由来は、混ぜることを爆発に例えたという説や、混ぜたものを爆薬に見立てたという説があり、一定したものはない。
イカのコリコリ感、イクラのプチプチ感といろいろな食感がありおいしい。
青森の家庭で食べる焼肉
「スタミナ源タレ」と豚バラ焼肉
青森県を代表する調味料が上北農産加工(略称KNK)の「スタミナ源たれ」
長芋の唐揚げ
ウーロン茶
せんべい汁鍋
■ 主な伝承地域:八戸市
せんべい汁は、青森県八戸市周辺で江戸時代に生まれた伝統的な郷土料理で、同料理専用の南部煎餅を用い、醤油味で煮立てた汁物あるいは鍋料理。
「せんべい汁」を注文をすると、せんべい汁の成り立ちを紙芝居で教えてくれる。
せんべい汁の歴史
南部せんべいは、南北朝時代に生まれた。
現在の三戸郡南部町を訪れた長慶天皇が食事に困った際、家来の赤松助左衛門が地元の農家からそば粉と米をもらい、鉄かぶとを使ってせんべい風に焼き上げ、天皇へ差し出した。
これが南部せんべいの始まりといわれている。
「せんべい汁」は江戸時代後期の天保の大飢饉の頃に八戸藩内で生まれたといわれている。
飢饉や凶作で、貧しい農民たちは米を食べることができなかったとき、八戸地方では麦や蕎麦の栽培が発達した。その中で誕生したのが、麦やそばの粉から、やわらかい麦せんべいやそばせんべい(てんぽせんべい、もちせんべい)ができ、明治時代になってかたく焼いた南部せんべいが誕生した。南部せんべいはそのままでも主食や間食として食べられるが、汁物にちぎって入れる食べ方もした。これが「せんべい汁」のはじまりである。
青森県津軽地方、または下北地方の郷土料理「貝焼き(かやき)味噌」をと思ったんだけど、ホテルの朝食に出るのでここでは食べず。
最後に店員さんから、
お店周辺でお祭りがあったみたい(店員さん談)。
再见!