5月6日(金)
めっちゃ記事を書くのが遅い。「(中国)気になったシリーズ:中国語の方言と訛り」でだいぶ時間を割いたこともあって、こんな2か月も経ってしまった。
ホームページより拝借
稚児ヶ淵
稚児ヶ淵の由来は、悲しい恋物語から来ている。
建長寺広徳院の自久(自休)和尚が、江の島の百度参詣の帰りに
相承院(鶴岡八幡宮の僧坊・鶴岡二十五坊のひとつ、頓覚坊)の稚児白菊と出会って恋に落ちた。しかし、その後思い悩んだ白菊はこの断崖絶壁から身を投げ、恋が叶わなかった自休も後を追って身を投げたという伝説が残っている。
稚児ヶ淵は1923年の関東大震災で海底が隆起して誕生した。
この地震で島全体が0.9mほど隆起したと言われている。
この地震で島全体が0.9mほど隆起したと言われている。
岩屋橋を渡ると、
江の島岩屋
江島神社の始まりとも言われている、第一岩屋(奥行152m)と第二岩屋(奥行56m)から成る洞窟がある。
波の浸食により形成された洞窟。古くは仏教の礼拝に使用され、石の彫像と小さな神社がある。
江の島弁財天信仰の発祥の地。多くの高僧や武将がここを訪れて祈願のため籠ったことを「江の島参籠」といっていた。夏は岩屋に海水が入るので、昔は旧四月~十月の間は、岩屋本宮の神様を山の上の御旅所(奥津宮)に移していたと伝えられている。
「江の島1dayパスポート」を提示して入洞。
与謝野晶子 歌碑
ローソクをお借りして、
日蓮の寝姿石
波の力で自然に形作られたもの
鎌倉で布教をした日蓮は、江の島で修行を積んだという。
1271年(文永8年)9月12日、日蓮は、幕府や諸宗を批判したことで平頼綱(北条時宗の執事)によって捕えられ、龍ノ口刑場に護送される。
しかし、江の島の方角より光が発せられ討手の太刀が折れるなどの怪異現象が起きたため、処刑は中止となり佐渡に流されたと伝えられている。
1271年(文永8年)9月12日、日蓮は、幕府や諸宗を批判したことで平頼綱(北条時宗の執事)によって捕えられ、龍ノ口刑場に護送される。
しかし、江の島の方角より光が発せられ討手の太刀が折れるなどの怪異現象が起きたため、処刑は中止となり佐渡に流されたと伝えられている。
その後、文武天皇4年(700年)に、役小角(えんのおづぬ)という修験者が、江の島の御窟に参籠して神感を受け、修験の霊場を開きました。これに続き、泰澄(たいちょう)、道智(どうち)、弘法(こうぼう)、安然(あんねん)、日蓮(にちれん)などの名僧が、御窟で次々に行を練り、高いご神徳を仰いだと伝えられています。そして、弘仁5年(814年)に空海が岩屋本宮を、仁寿3年(853年)に慈覚大師が上之宮(中津宮)を創建。時を経て、建永元年(1206年)に慈覚上人良真が源實朝に願って下之宮(辺津宮)を創建しました。
引用:ホームページより拝借
鎌倉時代の終わり頃に記された「江島縁起」に「天女と五頭龍伝説」という伝説がある。
昔、深沢の底なし沼に、「五頭龍」という龍が棲み、様々な災いをもたらし人々を苦しめていました。ある時、海底から島がわき起こり、天女が舞い降りました。その美しい天女に恋をした五頭龍は結婚を申し込みますが、これまでの悪行から断られます。そこで五頭龍は悪行を止め、改心し善行を尽くし、天女と結婚することができたと伝えられています。
天女は江島神社に祀られ、龍は江の島の向かいにある龍口明神社に祀られています。
江の島岩屋
住所 : 〒251-0036 藤沢市江の島2
電話番号 : 0466-22-4141
住所 : 〒251-0036 藤沢市江の島2
電話番号 : 0466-22-4141
入洞料 : 一般(中学生以上)500円/小学生 200円
再见!