中国ドラマって、俳優さん自身の声ではないことを知り、中国の方言と訛りをについて調べてみた。
中国の番組って必ず字幕が入っている(ドラマ、ニュース、アニメ、バラエティーにも字幕)。これは中国ならではなんだけど、中国って国土が広いためたくさんの方言がある。中国政府がテレビで放映するときの言語を「普通話(pǔtōnghuà:プートンファ)」(標準語)にすべきと規定している。学校でも「普通話」(標準語)は習うけど、生まれ育った地域の言葉が出てしまう。
日本でもそうですよね、名古屋弁や関西弁、博多弁など出身地の言葉で話すのと同じ。
北京語と広東語ではイントネーションが異なるので、同じ国の人でも
音だけだと聞き取れないらしく、字幕ならみんな問題なく読めることから番組には必ず字幕が入っていると聞いたことがある。
だから、ニュースは予め撮ってから放映をしていると聞いた。
ちなみに
標準語=北京語 ではない。
北京語は北京に住む地域の人が話す方言だそう。
で、中国では「普通話」は一種の人工的に作られた言語です。
「北方言語の語彙」と「北京官話」の発音をベースにしている。
「北方言語の語彙」とは、
中国北方で使われてきた言語の単語のことをいう。
「北京官話」とは明清代の宮廷官僚が使っていた言葉。
清の第5代皇帝の雍正帝の時にこの「北京官話」が標準語として採用された。
17世紀、華南に渡来した宣教師が、官吏の言葉という意味で土着の言葉と区別し「マンダリン(Mandarin:官僚)」と呼んだことに由来する。
標準的「普通話」な中国語を話す都市は、河北省承徳(しょうとく)市と遼寧省の数都市、と
河北省承徳市:「北京官話」(中国では清末まで公用語を官話と呼び、華北から東北に通用したものを北京官話といった。現代の標準語は北京官話を基礎とする)はここにあり
引用:人民網日本語版
確かに、上海語と普通話では
例えば「谢谢(xiè xiè)」で「シェシェ」と「普通話」(標準語)は言うが、
上海語は「シャジャ」という。
また「再见(zài jiàn)」は「再喂!(ゼェ ウェ)」と上海語はいう。
で、数字も言い方が異なる。
中国はとにかく広い
例えば
上海虹橋駅から温州南駅(総距離603㎞)まで高速鉄道で時速 300km/hの高速組 Gが最短で所要時間3時間半~4時間、
動力分散型(電車)の「動車組」(D列車)は所要時間4時15分以上。
高速道路を使っての移動だと5時間40分以上(約1847㎞)。
飛行機だと1時間で着く。
日本人の感覚で行ってしまうと、とんでもないことになる。
それぐらい広い。
方言≠訛り
- 方言
共通語に対して、ある地方だけで使用される語
日本語:○○方言、○○弁
中文:○○話(话:huà)、○○方言(fāng yán)
上海話、上海方言 - 訛り
標準語と異なるアクセントやイントネーション、発声法などのこと
日本語:○○なまり
中文:○○口音(kǒu yīn)、××腔(qiāng)
上海口音、四川口音
台湾腔、东北腔 - 共通語
言語社会において、その全域に渡って通用する言語や方言
中国の方言
中国官話は中国語の方言区分の一つ。官話方言(かんわほうげん)ともいわれる。言語としては広義の北方方言(ほっぽうほうげん)、北方話(ほっぽうわ)、北方語(ほっぽうご)、北語(ほくご)などの呼称がある。また共通語という意味で官話(かんわ)も用いられる。なお方言区は北方のみならず南方にまで及んでいるため、「北」とすることに異議が唱えられることもある。欧米ではマンダリン(Mandarin)と言われる。普通話の基礎となる方言である。
中国には 23の省、5つの自治区、4つの直轄市、2つの特別行政地区でそれぞれ方言ある。
また少数民族などを入れると130種類以上の言語が存在しており、大きく分けると「七大方言」に分類することができる。
官話
方言・言語
官話は上記のように本来は官僚の共通語の意味であるが、現在は方言名・言語名として使われることがある。
この場合、「〜方言」という代わりに「〜官話」ということがある。
- 歯擦音 - 大部分の南方官話(西南官話と江淮官話の併称)に歯茎音s, ʦ, ʦʰとそり舌音ʂ, ʐ, ʈʂ, ʈʂʰの区別が存在しないが、北方官話(西南官話と江淮官話以外の官話、各意味の北方話)に存在する。
- 鼻韻母 - 西南官話以外、[m]はなく、[n]に合流している。北方官話に[n]と[ŋ]の区別はあるが、南方官話に区別しない。
- 入声 - およそ半数以上の南方官話には残る。
- 声調 - 一般的に四つであるが、三つや五つの地域もある。
閩語の種類
ビンゴ、簡体字:闽语、漢語拼音:Mǐn Yǔ、
(閩南語)閩南語白話字:Bân gú
(閩東語)福州語ローマ字:Mìng ngṳ̄
(広義の)福建語と呼ばれる。
福建省、広東省東部及び西南部、海南省、浙江省南部、中華民国、シンガポール共和国、マレーシア、タイ及び各国の華僑・華人の一部の間で使用される
呉語方言
呉語(ごご、呉語拼音白読:Ngu-Gniu、呉語拼音文読: Wu-Gniu)または呉越語(ごえつご、Nguyoq-Gniu)
主に中国の南部で使用され、上海市、浙江省の大部分、江蘇省南部、安徽省南部および江西省、福建省の一部で話される。
中国語の歴史
春秋戦国時代、秦の始皇帝が統一するまで言葉が通じなかった。『礼記(らいき)』には「五方之民,言语不通」と記載されている。そこで秦の始皇帝が話す言葉が違っても文章語は共通しており書かれた文の読解は理解できるため筆談をして交流をしていたという。しかし、口語は各地方ごとに異なり、同じく漢字の発音も各方言ごとに異なっていた。「同文異音」と呼ばれるこの状況は古代からの課題であり、幾たびか是正が試みられてきたものの、本格的に共通語の樹立が試みられるようになったのは清末以降のことである。
『礼記(らいき)』とは漢代までに儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全四十九篇。唐代以降、五経のひとつとして尊重された。
中國戎夷五方之民皆有其性也不可推移東方曰夷被髮文身有不火食者矣南方曰蠻雕題交趾有不火食者矣西方曰戎被髮衣皮有不粒食者矣北方曰狄衣羽毛穴居有不粒食者矣中國夷蠻戎狄皆有安居和味宜服利用備器五方之民言語不通嗜欲不同達其志通其欲東方曰寄南方曰象西方曰狄鞮北方曰譯
(意味)
中国には戎夷を含めて、五方に民族があり、皆それぞれに特徴があるのであり、あえて変えようとしてはならない。東方は夷という。頭に冠も載せず、体に入れ墨をしていて、生ものを食べるところもある。南方は蠻という。額に彫りものをして両足の指を向かいあわせて歩く習わしで 、生ものを食べるところもある。西方を戎という。頭に冠も載せず、動物の皮を衣服にしており、穀物を食べないところもある。北方を狄という。羽毛を衣服にして穴蔵に住んでおり、穀物を食べないところもある。中國、夷、蠻、戎、狄は皆、それぞれに、安心していられる住居の形があり、口に合うような調味があり、適切な衣服があり、役に立つ能力があり、目的にあった器を備えている。五方の民は、互いに言語が通じず、好んで欲しがるものも同じではない。それぞれやりたいことを伝え、望むところを通じるようにすることを、東方では寄といい、南方では象といい、西方では狄鞮といい、北方では譯という。
【夷蛮戎狄】(いばんじゅうてき)
昔の中国の都から遠く離れた四方の異民族の総称。漢民族が文化や習俗の異なる周辺の異民族を卑しんで用いた呼称で、「東夷とうい」「南蛮なんばん」「西戎せいじゅう」「北狄ほくてき」の略。
秦始皇
そして春秋戦国時代の諸侯国は一応の「雅言」と呼ばれる共通語があったといわれている。「周秦漢晋方言研究史」(華学誠:著)によると、中国の伝説時代、炎帝族と黄帝族が融合して華夏族ができ、原始的漢語である、華夏語ができた、と記載されます。華夏語は、春秋戦国時代には、雅言(夏言)と称するようになったともされます。
戦国時代末期の「爾雅」は、全19編、2219項目、5239個の言葉が掲載されている最初の字典とされますが、それに掲載されている方言を分類すると、
- 秦晋
- 周韓鄭(漢代趙魏含む)
- 衛宋
- 齊魯(漢代東齋海岱含む)
- 燕朝(漢代北燕朝鮮含む)
- 荊楚(漢代南楚含む)
- 呉越(漢代南越含む)
の7地方に分けられるとされます。
発音などに地域での相違がかなりあったようです。
「雅言(yǎ yán)」は、当時の王朝「周(西周)」の首都があった鎬京(=長安)がある、陝西地方の言葉が基礎になっていたとされます。漢時代は、これが「通語」と呼ばれ「雅言」に河南地方の方言が融合した言葉が共通語となったようです。漢の都が洛陽でしたので、河南方言が加わったと思われます。
清朝以来、北京官話は次第に分化し、中国語の標準音である官話は次第に南京官話と北京官話の2つに分けられてきた。清代の初期、南京官話は依然として中国語の主流の標準語であり、雍正6年(1728)、清雍正帝期に福建省で「正音書院」が設立し、北京音を標準とする北京官話を普及させた。また官話を話せない読書人は科挙試験を受けてはならないと規定した。清代中後期になると、北京官話は徐々に南京官話に代わっていく。
呉汝綸(ご じょりん:Wu Rulun、1840年 - 1903年)は1902年に日本を視察し、明治維新後の日本の国語統一政策に感銘を受け、帰国後北京語を標準とする国語を実施するよう管学大臣・張百熙に意見書を送った。
1909年に江謙(1876年-1942年)が官話の名を国語に改めるよう提案し、「国語編審委員会」が設置された。
1912年に中華民国が成立すると、翌1913年2月に漢字の読みを国で定めるため読音統一会が招集された。北京官話を標準にすることを主張する王照が一省一票を提案したことにより濁音は外され、6500余りの漢字について「国音」が議決された。これを後に老国音という。
1919年、政府は教育部の下に「国語統一籌備(ちゅうび)会」(籌備〈拼音: chóubèi〉は準備の意味)を設けた。国語統一籌備会は国民政府成立後の1928年に「国語統一籌備委員会」、1935年に「国語推行委員会」に改められた。
1923年に国語統一籌備会は「国音字典増修委員会」を設置し、翌1924年北京語音を標準とすることを決めた。
1950年以降に標準中国語が普通話として整備され、その推進普及が国是として図られている。北京語音、北方方言=官話方言の語彙、現代白話文の文法を標準とする「普通話」を共通語とし、その普及を図る政策を進めている。
1958年の「漢語拼音(ピンイン)方案」成立以来、中華人民共和国では拼音(ピンイン)を中国語の唯一の表音方式として強力に推進している。
1982年11月には第5期全国人民代表大会第5次会議を通過した中華人民共和国憲法第19条に「国家は全国で通用する普通話を推し広める」ことが規定され、普通話の公用語としての地位が確立された。
(引用参考:百度百科、Wikipedia)
※「国語」という単語は、明治時代に作られた和製漢語であり、中華圏・朝鮮半島・ベトナムなどの漢字圏に逆輸入されている。
※ 「戦国時代」は、中原の大国「晋」が「韓」「魏」「趙」に分裂した紀元前431年から、秦始皇帝が全国を統一した紀元前221年を指します。
方言の分類
1900年、章炳麟(しょう へいりん 1869年1月12日 - 1936年6月14日 )は中国語の方言を9種類に分け、それぞれ黄河以北、陝西、黄河以南及び華南、福建、広東、開封以東、江南、徽州、四川と分けた。
1934年、趙元任(ちょう げんじん 1892年11月3日- 1982年2月25日):中国・アメリカの言語学者)は「言語区域図」で中国語係を7種類に分け、それぞれ華北官話区、華南官話区、呉方言、福建方言、客家方言、広東方言と海南方言であり、このような分け方は民国時に大量の福建広東人が参政して導入した南方方言の影響によるものである。
1948年、「言語区域図」は再び変化し、中国語を11種類に変更。それぞれ北方官話、西南官話、下江官話、呉語、湘語、贛語、客家語、広東語、福建省南語、福建省北語、徽州方言(中国の安徽省,江西省,浙江省三省の境界地帯に位置する徽州地域で話される漢語方言の総称)などである。
1955年、国内では再び中国語を官定の8種類に分け、それぞれ官話、呉語、湘語、贛語、客家語、閩北語、閩南語と広東語とし、各官話を一貫性にし細分化しないとともに、人数の少ない徽語をなくし、呉語を加えた。
そして30年後、今の10種類となる。
引用:新华网,舌尖上的方言
毛沢東の時代、ラジオ局による方言放送が禁止となる。しかし、毛沢東自身は最後まで標準語を話そうとはせず、いつも湖南語で演説。同様に、鄧小平も標準語を話さず四川語で話していたという。ちなみに趙紫陽(ちょう しよう)は河南語。中国の歴代指導者のなかで、初めて標準語で話す人物が登場したのは江沢民(こう たくみん)になってから。揚州語(江蘇省)ではなく、揚州なまりの標準語を話すようになった。江沢民の後を継いだ胡錦濤(こ きんとう)自身は江蘇省泰州市出身だが、祖先が安徽省紡渓の出身のためか標準語に安徽のなまりが混じっていたそう。同じ江蘇省出身でも別の地方の訛が強いため、外国人には聞き取りづらかっとそうだ。
習近平国家主席ははじめて標準語が話せる共産党指導者のなのである。
毛沢東や鄧小平が演説で話した言葉をどれだけの国民が理解ができたのか、疑問が残る。
長くなってしまったのでここでおしまい
拜拜!