2022.05.02 奈良県:東大寺大仏殿 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
5月2日(月)
 
7時半頃に家を出て、9時半頃に目的地へ。
 

 

奈 良

 

 
 
 

   吉城園

無料で入れる。
 
 

 

吉城園は名勝依水園西南にあり、万葉集にも詠まれた宣寸川(吉城川)に隣接している庭園です。当園の日本庭園は自然の起伏、曲線を巧みに取り入れて作庭されている

 

  名勝依水園

 

 

二つの庭園からなる依水園は奈良を代表する池泉回遊式庭園で、その面積は3400坪(約11,000㎡)にもなる。前園は江戸時代に奈良晒の御用商人 清須美 道清が作り、後園は若草山、東大寺南大門、春日山や御蓋山を借景とし、明治時代に実業家 関藤次郎により作られた

一般:1,200円

 
 

小学校の修学旅行以来の東大寺。

 

  東大寺

東大寺の正式名称は、「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)

奈良時代に聖武天皇の勅願により建立。
8世紀前半には大仏殿の東方、若草山麓に前身寺院が建てられていたことが分かっている。東大寺の記録である『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。
大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。
 
 
 

東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

 

 

東大寺大仏殿

 

正式には東大寺金堂。
最初の大仏殿の建設は大仏の鋳造が終わった後に始まり、758年(天平宝字2年)に完成した。
大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、日本の国宝に指定されている。
 
 
 
 
 

金剛八角燈籠 

(国宝指定)

 

 
大仏が完成した725年に造られた物。
 
高さ4.6m、笠の横幅が1mの銅製の燈籠。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のもの。
国内の銅製の燈籠のしては最大の高さ、しかも最古の燈籠。八角燈籠には、4面にそれぞれ横笛、尺八、銅鈸子、笙を奏でる四体の音声菩薩(おんじょうぼさつ)が浮き彫りにされている。
1962年に東北面の音声菩薩(おんじょうぼさつ)が掘られた羽目板が盗難に遇うが、発見されたとき音声菩薩以外の部分の一部が削り取られていた。
その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けている。東南面の羽目板のオリジナルは早くに紛失。
 
 

 

 

 

 

東大寺盧舎那仏像

(国宝指定)

 

東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)

大仏は『華厳経』に説く盧舎那仏という名の仏である。盧舎那仏は「蓮華蔵世界」(『華厳経』の説く世界観)の中心に位置し、大宇宙の存在そのものを象徴する仏である。

 

 
東大寺大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願された。実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に「大仏開眼供養会」が実施された。 のべ260万人が工事に関わったとされる。
大仏と大仏殿はその後、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)の2回焼失して、その都度、時の権力者の支援を得て再興されている
 
現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っている。
 
 
創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出!!
(関西大学の宮本勝浩教授らが平安時代の『東大寺要録』を元に行った試算による)

 

大仏は昭和33年(1958年)2月8日、「銅造盧舎那仏坐像」として国宝に指定されている。

 

 

 四天王


中国のお寺にも必ずいる四天王。
四天王はその山の大将である帝釈天(たいしゃくてん)の家来で、仏法を守る大天王として、東西南北をまもるガードマンの役目
 

四天王は奈良時代の755年に大仏建立にもかかわっていた国中公麻呂(くになかのきみまろ)により製作された(作者は推定)とみられている。
 

国中公麻呂(?~宝亀5年10月3日(774年11月11日)):百済(くだら)からの渡来人の子孫で、大和(やまと)中村に住み、国中連(むらじ)の姓を賜った。

東大寺盧舎那仏像のほか、東大寺戒壇院四天王立像、東大寺法華堂の不空羂索観音像などの乾漆諸像や、新薬師寺十二神将像の製作に関わったと推定されている。

 

 

 

西方を護る広目天

 

梵名: ヴィルーパークシャ(Virūpākṣa)=「特殊な力の目を持つ者」という意味。
別名:毘楼博叉(びるばくしや)
 

 

右手に筆、左手に巻物を携える姿で表現されるがこれは主に天平時代のもので、平安時代以後は徐々に別の持物を持つようになった。 江戸時代復興期の像

 

南方を護る増長天 

 

素木の頭部のみ
梵名: ヴィルーダカ(Virūḍhaka)=「恵みを増大させる者」を意味。
別名:毘楼勒叉(びるろくしや)
 
 
 
 

 

北方を護る多聞天

(毘沙門天とも呼ぶ)
 
梵名: ヴァイシュラヴァナ(Vaiśravaṇa)=「あまねく聞く者」を意味
 
 
右手に宝塔(仏塔)を乗せ、左手には宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)を持つ。
江戸時代復興期の像
 
日本では、独尊で祀られる場合には「毘沙門天」と呼ばれ、四天王として祀られる場合には「多聞天」と呼ばれている。また、七福神の神様の一人で、「威光」を意味する神様でもある。
密教では十二天の一人でもある。十二天とは仏教の護法善神12種(帝釈天(たいしゃくてん)、火天(かてん)、焔摩天(えんまてん)、羅刹天(らせつてん)、水天(すいてん)、風天(ふうてん)、毘沙門天、伊舎那天(いざなてん)、梵天、地天、日天、月天(がってん))の天神の総称。
四方の守護神の四天のうち、四天王との一致は北の毘沙門天(四天王としては多聞天)のみである。
 

 

東方を護る持国天 

 

素木の頭部のみ残る
梵名:ドゥリタラーシュトラ(Dhṛtarāṣṭra)=「国を支える者」を意味。
別名:提頭頼吒(だいずらた)
 
 
 

 

持国天像と増長天像は頭部のみなのか?

 

治承4年(1180)の兵火に大仏殿が罹災した際、大仏は大破し、二菩薩・四天王は焼失。後に再興されたが、戦国時代も末期の永禄10年(1567)、戦火によってまたも失われ、四天王については広目・多聞天の二躯こそ造立されたものの、持国・増長天は頭部が造られたのみでついに完成しなかった。
 
 
 
 
 

 

中国と日本の違い

中国では「四大天王」や「四大金剛」と呼ばれるのが一般的。日本の四天王と姿が全然違う。中国の四天王は、「琵琶」「傘」「蛇または龍」「剣」を持っているのが普通である。        

 

日本の四天王の持ち物         

多聞天(毘沙門天とも呼ぶ) = 宝塔と三叉の戟         
広目天 = 筆と巻物 戟・槍         
持国天 = 刀・槍・戟 金剛杵         
増長天 = 刀・剣・戟 金剛杵         
        

中国の四天王の持ち物    

多聞天 = 傘        

広目天 = 蛇、または龍         
持国天 = 琵琶        
増長天 = 剣         
参考: 四天王の違い(日中仏教相違点1)        
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/sidatianwang.html        
        

 

中国の四天王 

 

 

 

写真:2018.06.06 中国無錫市 横山寺 

 
 
四天王に踏まれる邪鬼
        
 
 
 
 
 
 
 
 

 

如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像

(国指定重要文化財)

 
どちらも江戸時代に造立。

 

 

如意輪観音は、人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える慈悲深い観世音菩薩の一つです。意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠の働きを象徴し、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指している。その2つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音という。
如意輪観音坐像は、1738年頃に完成。像高は7メートル20センチ

 

虚空蔵菩薩は、虚空のように広大な智慧と慈悲で、人々の願いをかなえるといわれている。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)坐像は、1752年に完成、像高は約7メートル10センチ

京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われている。
 

 

柱の穴くぐり

 

新型コロナウイルスの影響で中止とのこと。

 

修学旅行のときにくぐった思い出がある。
 
こに穴をくぐり抜けることで「厄除け」のご利益があるとされている。
で、この穴、大仏さまの鼻の穴と同じなんだそう。
大きさは、横幅30センチ、縦37センチ。
う~ん、どう考えても、小学校6年生までの子ならくぐれそうな大きさ。
 
昔の人は、今の現代人とは違い、体が小柄だっため、大人でもくぐり抜けれたそうです。
 
 
 
 

 

 

 

 

南大門

(国宝建造物)

 

 

重層入母屋造りの門で、高さは25メートルもあるわが国最大の山門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したとされる。

宋の建築様式を取り入れた大仏様を採用。

 

 

 

金剛力士像

(国宝指定)

 

阿形像と吽形像の配置が左右で逆。

「阿吽の呼吸」の言葉の起源とされている阿形像と吽形像

 

 

向かって左側に置かれている口を開いた「阿形像」。宇宙の始まりを表しているとされている。
向かって右側が「吽形像」。閉じた口は宇宙の完成を表している。
阿形像、吽形像ともに高さおよそ8.4メートル。それぞれ約3000個の部材から成る「寄木造」で作られている。
 
1203年(建仁3年)7月24日から10月3日までの70日間で像造。
阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したものである。
 
 
 
 

 

鏡 池

 

 
 
 

 

 

 

 

 

    

東大寺
住所 :〒630-8587 奈良市雑司町406-1
電話番号 : 0742-22-5511
拝観時間 : 4月~10月(開門 7:30 閉門17:30)
11~3月(開門 8:00 閉門17:00)
拝観料 : 大仏殿、法華堂(三月堂)、戒壇堂、各お堂ごとに下記の入堂料をいただいております。
入堂料 : 大人(中学生以上)…600円 / 小学生…300円