D:大学4年間を
H:振り返って
いにしゃるとーくをご覧の皆様、こんばんは。
競泳4年のWだです。
インカレまで残り僅かとなりました!
そのような中、今日はOBで元主将のKのうさん、元チーフマネージャーのIちげさんが応援しに来てくれました!
ありがとうございました!!
-------------------------------------------------
早速ですが、僕もついに最後のいにしゃるとーくとなりましたので、自分のことについて書いてみたいと思います。
まず、はじめにこの4年間大学水泳部で活動することができたことに感謝しています。
本当にありがとうございました。
僕はもともと高校で水泳を辞める予定でした。
理由は高校3年間、まったく記録が伸びなかったからです。
気がつけば、全国中学で優勝した実力もJOに出場することすら危ういレベルにまで落ちました。
俗に言う、もう終わった人になったわけです。
また、僕は早稲田実業出身ということもあり、早稲田大学の進学において、複数の学部を選べるだけの成績もあったので、大学では良い学部に入って、遊びたいなって思っていました。
でも進路を真剣に考えたとき、このままだと自分の人生を振り返った時に後悔すると感じました。
『もう一度、全国の決勝舞台で勝負がしたい』
無論、当時の僕の実力はあまりにも低かったので、限りなく水泳に集中できる環境を求め、このスポーツ科学部に入学し水泳部に入部しました。
もともと行きたかった学部は諦めました。
キャリアを考えると諦めるべきではなかったのかもしれませんが、大学3年時にマネージャーなることを避けたいと思い、水泳に最大の時間を費やすことができる環境に身を置くべきだと感じたからです。
つまり、僕がこの早稲田大学のスポーツ科学部に入学し、水泳部で活動することは人生をかけた大きな挑戦でした。
だからこそ、僕は入部してから人一倍努力しなければ部員の皆と肩を並べることができないと思い、WUSTの誰よりも水泳対してに時間をかけました。
それでも、大学1年の夏はインカレレギュラーになれず、サポート組として活動しました。
レギュラーに入っている同期や先輩の背中がとても遠く感じたことを今でも覚えています。
大学2年では、入部してからの取り組みが実を結びはじめたこともあり、3年ぶりにベストを更新し、インカレレギュラーとして個人とリレーに出場することができました。
また、インカレの決勝を経験したことで、少し自分の目標に近づけたように感じました。
でも僕の人生は、そう上手くはいきませんでした。
当時の僕の実力では足りないものがあり、マネージャーになることになりました。
人生をかけた挑戦は大学生活半ばにして、あっけなく終わりました。
マネージャーになった当初は、取り返しのつかない失敗をしたんじゃないのかと感じ、激しい葛藤に悩まされました。
でも、マネージャーになったからこそ、できること、見えるものがあるのではないかと信じ、考えては行動するようにしました。
『不運に感じる状況でも、努力で味方につける。』
これが大学3年以降の僕の目標になりました。
加えてマネージャーや先輩、同期の優しさもあり、気がつけば俯いた視線も前を向くようになりました。
チームのみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
人のために一生懸命になること、裏方として支えることの苦労など。
今こうして振り返れば、マネージャーとしての経験は僕を大きく成長させてくれたと思います。
『ひたむきな努力は困難を成長に変える』
僕がこの大学4年間を通じて得ることのできた経験です。
部員やこの記事を読んでいる人の中には、いつか困難にあたる人、もしくは困難に直面している人がいるかもしれません。
でも考え方一つ変えて、真摯に取り組むことができれば、その後の道は大きく変わると思います。
より良い明日を信じて、人一倍の努力を積み重ねてほしいなと思います。
もうすぐこの記事も終わりになりますが、
『最後のインカレの決勝舞台で勝負がしたい』
これが大学入学時の僕の目標であり、夢でありました。
しかし、今の僕はマネージャーです。
もうこの夢は叶いません。
だからこそ、同期をはじめ選手には厚かましいですが、僕の分まで頑張ってもらえるといいなと思います。
最後になりますが、これまで17年間という長い水泳人生を送ることができたのも、両親や監督、コーチをはじめ、多くの方々の支えがあったからです。
本当にありがとうございました。
インカレではみんなが最高のパフォーマンスを発揮できるように一生懸命頑張りたいと思います。
次回の担当はWたなべかな?
乞うご期待!
-PRIDE-
H:振り返って
いにしゃるとーくをご覧の皆様、こんばんは。
競泳4年のWだです。
インカレまで残り僅かとなりました!
そのような中、今日はOBで元主将のKのうさん、元チーフマネージャーのIちげさんが応援しに来てくれました!
ありがとうございました!!
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早速ですが、僕もついに最後のいにしゃるとーくとなりましたので、自分のことについて書いてみたいと思います。
まず、はじめにこの4年間大学水泳部で活動することができたことに感謝しています。
本当にありがとうございました。
僕はもともと高校で水泳を辞める予定でした。
理由は高校3年間、まったく記録が伸びなかったからです。
気がつけば、全国中学で優勝した実力もJOに出場することすら危ういレベルにまで落ちました。
俗に言う、もう終わった人になったわけです。
また、僕は早稲田実業出身ということもあり、早稲田大学の進学において、複数の学部を選べるだけの成績もあったので、大学では良い学部に入って、遊びたいなって思っていました。
でも進路を真剣に考えたとき、このままだと自分の人生を振り返った時に後悔すると感じました。
『もう一度、全国の決勝舞台で勝負がしたい』
無論、当時の僕の実力はあまりにも低かったので、限りなく水泳に集中できる環境を求め、このスポーツ科学部に入学し水泳部に入部しました。
もともと行きたかった学部は諦めました。
キャリアを考えると諦めるべきではなかったのかもしれませんが、大学3年時にマネージャーなることを避けたいと思い、水泳に最大の時間を費やすことができる環境に身を置くべきだと感じたからです。
つまり、僕がこの早稲田大学のスポーツ科学部に入学し、水泳部で活動することは人生をかけた大きな挑戦でした。
だからこそ、僕は入部してから人一倍努力しなければ部員の皆と肩を並べることができないと思い、WUSTの誰よりも水泳対してに時間をかけました。
それでも、大学1年の夏はインカレレギュラーになれず、サポート組として活動しました。
レギュラーに入っている同期や先輩の背中がとても遠く感じたことを今でも覚えています。
大学2年では、入部してからの取り組みが実を結びはじめたこともあり、3年ぶりにベストを更新し、インカレレギュラーとして個人とリレーに出場することができました。
また、インカレの決勝を経験したことで、少し自分の目標に近づけたように感じました。
でも僕の人生は、そう上手くはいきませんでした。
当時の僕の実力では足りないものがあり、マネージャーになることになりました。
人生をかけた挑戦は大学生活半ばにして、あっけなく終わりました。
マネージャーになった当初は、取り返しのつかない失敗をしたんじゃないのかと感じ、激しい葛藤に悩まされました。
でも、マネージャーになったからこそ、できること、見えるものがあるのではないかと信じ、考えては行動するようにしました。
『不運に感じる状況でも、努力で味方につける。』
これが大学3年以降の僕の目標になりました。
加えてマネージャーや先輩、同期の優しさもあり、気がつけば俯いた視線も前を向くようになりました。
チームのみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
人のために一生懸命になること、裏方として支えることの苦労など。
今こうして振り返れば、マネージャーとしての経験は僕を大きく成長させてくれたと思います。
『ひたむきな努力は困難を成長に変える』
僕がこの大学4年間を通じて得ることのできた経験です。
部員やこの記事を読んでいる人の中には、いつか困難にあたる人、もしくは困難に直面している人がいるかもしれません。
でも考え方一つ変えて、真摯に取り組むことができれば、その後の道は大きく変わると思います。
より良い明日を信じて、人一倍の努力を積み重ねてほしいなと思います。
もうすぐこの記事も終わりになりますが、
『最後のインカレの決勝舞台で勝負がしたい』
これが大学入学時の僕の目標であり、夢でありました。
しかし、今の僕はマネージャーです。
もうこの夢は叶いません。
だからこそ、同期をはじめ選手には厚かましいですが、僕の分まで頑張ってもらえるといいなと思います。
最後になりますが、これまで17年間という長い水泳人生を送ることができたのも、両親や監督、コーチをはじめ、多くの方々の支えがあったからです。
本当にありがとうございました。
インカレではみんなが最高のパフォーマンスを発揮できるように一生懸命頑張りたいと思います。
次回の担当はWたなべかな?
乞うご期待!
-PRIDE-