通勤電車で本を読んでいる時、自分の視線の動きが上下にうごいているなと感じた。一般的に日本語で書かれた本は縦書きだから当たり前なのではあるが。
トラウマの治療にEMDRという手法がある。視線を左右に動かしている間に辛い記憶を思い出すことでフラッシュバックが軽減する。これはアメリカで開発された治療手法であるが、どうして効果を発揮するかについて、脳科学的に定まった回答はない(と、不勉強な僕は理解しているが?)。杉山登志郎先生のパルサー治療も簡易トラウマ治療に用いられるが、トラウマ記憶を思い出しているときに、左右の両手に電気刺激を交互に与えるという手法である。
EMDRやパルサーの治療がなぜ有効なのか。僕は勝手な仮説として、「左脳と右脳を交互に使うことが情動安定化につながるのではないか」と考えている。言語的な左脳と、直感的な右脳。一つの事象についての情報をいろんな特性をもった脳の部位で扱うことで強い情動反応を軽減するのではないか、というわけである。
僕の安直な発想がそんなに的外れでないとすると、横書きと縦書きではテクストを読む人の情動安定作用に差がでることになるのではないだろうか、ということになる。もちろん「横書きの方が情動安定作用が強い」、となるはずだ。
そこでふと思うのは、僕が欧米の詩が苦手で、あんまり読めないのはどうしてかという点である。もちろん原語で読まずに翻訳で読んでいるからというのもあるのだろうが、僕にとって、欧米の詩は、とくに情緒や感情にまつわる言葉がでてくると大仰に感じてしまうのだ。写実的だったり、形而上学的とか言われるような詩だとそんなに抵抗感なく読めるのだが。
ふたたび僕の適当な思い付きを記してみる。欧米の言語は横書きなので、情緒にまつわる言葉を大仰にしないと視線の動きで情動を中和されてしまって詩としての力が弱ってしまうのではないだろうか。そして、そもそも欧米の言語が縦書きではなく横書きを選択したのは、厳しい生活環境への苦悩があったからなのではないだろうか。さらには、横書きに文字を書き記していくこと、その文字を読み解くこと、そうした読み書きの営みがある種の癒しになっていたのではなかろうか。
では、日本語はどうなのだろう。漢字も仮名も文字としては縦書きにも横書きにも対応できるが、筆という道具が圧倒的に縦書きに適していることが大き影響を及ぼしているように思われる。縦書きであることがテクストの読み手にどんな影響を与えるのか、今度また考えてみようと思う。