沈黙とは、文字通りに考えれば、みずから口をとざすことである。
しかし、逆から考えれば、自分ではないものの声に聞き入っていることである。
僕は、静けさが好きだ。
でもより正確にいえば、何かに聞き入っている時の沈黙が好きである。
さらにいえば、静けさに聞き耳をたてるときの、あの包まれるような感覚が好きである。
そんなわけで、今日みたいな寒い日も、電気カーペットをがんがんにあったかくして、
おもいきって窓をあけている。かなりさむい。毛布を腰にまくはめになった。
窓ごしでもなく、網戸ごしでもなく、直接に世界をみたいのだ、とうそぶいてみる。
そういう気分になっているのは、昨日テレビの『天空の城ラピュタ』をチラ見したからだとおもう。
宮崎駿監督の作品には、見終わると「ギュッ」と生きていたくなるという効能があるのだ。
ただ、残念ながら僕はメガネ必須人間なので、あらゆる世界はレンズ越しにしかみえない。
でも、別にメガネをかけてなくても、世界は網膜越し、あるいは水晶体越しにしかみえない。
結局のところ、「見る」ということばをどう定義するかで、
○○越しに見るというときの○○が変わってきてしまうようだ。
何が見ていて、何が見られているのか、世界はおもいのほか謎だらけである。
つまるところ僕には、自分がどこにいるかだけではなく、
世界がどこにあるといえるのかも、さっぱりわかっていないのだ。
やれやれである。