主婦あるある? | 乳がん闘病記

乳がん闘病記

2023年12月、乳がんと診断されました。
備忘録を兼ねて、治療の経緯や治療する中で思ったことなど書き記そうと思います。

我が家は旦那はベッドで、私と子供はリビングに布団を敷いて寝ています。

(赤ちゃんのときのスタイルが今でも継続)

布団を敷くときはリビングに置いているおもちゃ箱をソファーの上にあげます。

乳がんの手術後最低でも一か月は重い物を持ってはいけないので、このおもちゃ箱を自分でソファーの上にあげることはせず、子供かだんなに理由を説明してあげてもらっていました。

ですが、いちいち

「ちょっとこれ、ソファーの上にあげてくれへん?」

と頼まないと全然あげてくれません。

もうだんだんめんどくさくなってきて、一か月ぎりぎりぐらいから自分であげることにしました。

 

普段からほぼ家事は全部私がやり、だんながやるのは風呂の掃除ぐらいな我が家。

さすがに抗がん剤を入れた後はだんながやってくれましたが、ちょっとでも回復するともう私がやっていました。

だんなは料理もできないので、総菜を買って来るか冷凍ものを私が元気な間に買っておくかしないといけませんでした。

まあそれも出費がかさむんでね。

 

私が急性肝炎で緊急入院することになったときも、一週間ほど入院していましたが、戻ってくると

「この一週間で1,2キロ痩せた」

と言っていました。

えっ、たったの一週間家事やるだけでそんなに痩せるってどういうこと!?と思ったものです。

 

何かの漫画の広告だったと思いますが

「男の人はママと嫁は死なないと思っている」

と書いてありましたが、まさにそのとおりです。

いや、死ぬときゃ死ぬよ!

 

急性肝炎になって入院してたときに同じ部屋の患者さんに看護師さんが話しているのが聞こえてきたことがありました。

「女の人は病院に入れて家から離さないと、どうしても動いてしまいますからね。家の人も頼ってくるでしょう?前なんて、手術が終わって意識もうろうとしているおばあさんに旦那さんが開口一番”わしの今日の晩御飯どないしたらええねん”と言ったからもうびっくりしちゃって。」

私もびっくりしちゃいましたが、ここまでいかなくても似たようなご家庭山ほどあるでしょうね。

私の父もまあ似たようなもんで、母が乳がんの手術が終わって退院して帰ってきたら

「あ、ちょうどよかった。今晩すき焼きしようと思っててん。」

と言ってニコッと笑ってシューッと自分の部屋に戻っていったそうです。

切りかけのにんじんと大根をまな板の上に残して。

(すき焼きに大根?と母は思ったそうです)

結局続きを母が調理したとか。

 

ほんとにね、女性はすごいですよ。

 

そういえば、よくCMで母の日は家族でカレーを作ろう!とかやってますが、ほんとにどこもそんな感じなのでしょうか。

うちは「お母さん、いつもありがとう!」という一言でおしまいで、代わりに何かやってくれるとか甘い物(ケーキとか)を買って来てくれるとかそんなの一切ないですけど。