体験しないとわからない気持ち | 乳がん闘病記

乳がん闘病記

2023年12月、乳がんと診断されました。
備忘録を兼ねて、治療の経緯や治療する中で思ったことなど書き記そうと思います。

世の中には自分が体験しないと決してわからない気持ちというものがあると私は思います。

できる限り寄り添うことはできても、実際に自分がその立場になってみないと絶対にわからない。

そしてそれはわからなくても仕方がないことだとも思っています。

 

例えば、私は阪神淡路大震災を経験しました。

不妊治療をして、子供ができました。

 

大震災の時のあの光景や気持ちはどんなに口で説明しても絶対に伝わらない部分があります。

そして我が家は幸運なことに潰れずに済んだので、私は避難所には行っていません。

なので正直、避難所でしばらく生活されていた方々の気持ちを推し量ることはできても経験していないのでわからないことは多々あります。

 

不妊治療、今はかなり保険が利くようになってきましたが、私がやっていた頃はほとんど自費だったので、軽自動車が買えるほどお金がかかりました。

よく、ゴールが見えないマラソンのようなものだと言われますが、本当にそんな感じで、だんだん精神的にまいってきます。

そのうち他人が妊娠したことを素直に喜べなくなり、そんな自分が嫌になる、という負のスパイラルに陥っていきます。

これも、実際に経験しないと絶対にわからないと思います。

 

今回、乳がんになって化学療法をして、また今まで見えていなかったものが少し見えてきたように思います。

 

例えば。

今私は足がしびれているので、階段を上り下りするときは手すりを持たないと厳しいです。

たまにカクッと急に力が抜けそうになるので、下手すりゃそのまま鎌田行進曲の銀ちゃんのようにゴロゴロ階段を落ちていくかもしれません(古い)。

そんな状況の私が気になったこと。

それは時々利用する駅の階段。

つい最近、車いすを運ぶ機械(?)が設置されました。

・・・階段降りる側の手すりに。

この状態だと、まだ持つとこある(といっても、手すりじゃなくてこの機械の一部を手すり代わりに使う)んですけど、工事中はこの手すりに覆いがされて全く持つところがなく、仕方がないので上って来る側にある手すりを利用しました。

この機械を使っているところにまだ遭遇していませんが、でもこれ、私が下りる時にたまたまこの機械を利用している方がいたら、またこれ手すり使えませんよね。

というか、手すりの端に点字貼ってあるのにもう手すり使えないの、どうなの、これ。

 

でもこれ、自分が手すりを使わないと階段を降りたり上ったりできないようになっているから気づけたことで、もし手すりを使う必要がなければ気づかなかったと思います。

これの設置を考えた人もきっと健常者かなと思います。

特に日本の駅は昔から、健常者が利用するというのがベースにあるから全然バリアフリーじゃないと言われてますが、こういうことなのかな、と。

そもそも狭い小さな駅にいろいろとってつけたようなことするからおかしなことになるのでは。