今回は「他者へのジャッチが自分を不幸にする理由」についてお話しようと思います。
みんな生きていると自分のモノサシで物事や人を図るということをしてしまいがちだと思います。
例えば、「これは悪いことだ」とか「この人のこういうところは良くない」と決めつけることです。
物事や他人をジャッチすることは、した時は正義の審判を下したような気分になってあまり悪い気分ではないと思うし、
自分を守るという点では正しいことなのかもしれません。
でも私は自分を守るのと引き換えに世界を狭めていることにもなるのかなと思いました。
一見良くないと思うことでも、視点を変えると必ずそこには良い面もあると思うのです。
自分の考えと相反するものを一旦受け入れてみるというのは自分の世界を広めることだと私は考えています。
一旦受け入れるというのは、あくまで受け入れるということであって自分の考えを変えなければいけないわけではなくて、
その考え採用しようと思えば採用すればいいし、採用しなくていいやと思えば、受け流せばいいんです。
あなたの考えはきっとこれまで一生懸命に生きてきて編み出した考えだと思います。
それと同時に、他者の考えもその人が一生懸命生きてきて編み出した考えなんです。
一生懸命の程度に上下はないし、人の数だけ人生があるのと同じで、人の数だけ価値観があると思います。
そもそも私たちはみんな神様ですから、その神様が出した答えが間違っているわけないんです!笑
無意識かどうかは人それぞれですが、自分の考え価値観にみんなどこか自信があると思うのですが、
その自信はきっと自分が神様だからということを無意識に知っているからなのかなと思います。笑笑
だからあなたの意見も他者の意見もどちらも正しいんです。
ただどちらを選びたいかなんです。
そこを選べることも人生の醍醐味ですね。
そして私たちは神様であると同時に、不完全な存在でもあります。
その不完全さを埋めてくれるのが他者なんです。
だからこそ他者の考え、姿勢をジャッチしないことは自分のためになることだと思います。
私は常に自分の考えは不完全だと思っていて、その不完全な考えにいろんな人の考えをミックスすることによってより良いものを生み出せると思っています。
なので、よくスピリチュアル界隈では私たちは無限の力を持っていると言いますが、その力というのは他者の力を借りるからこそ発揮できるのだと思います。
自分という存在は一人しかいませんが、自分以外の存在(目に見えないもの含め)はどれぐらい存在するのか未知数ですよね。
自分からしたら無限なんです。
一人では有限だけど、たくさんの力を借りたら自分は無限になるんです。
昔は正直「噓くさ笑」と思っていましたが、今は素直にまさにワンネスだなぁと思います。
私たち一人一人はそれぞれ違った人生を送っているので、それぞれ違った視点を持っています。
それは逆に言うと、一側面しか見れないということでもあります。
つまり不完全なんです。
だからこそ、他者の視点、力を借りることによって真実に近づけるのです。