この世界で裁けるのはあなただけ。


あなたが悪いとかすごいとか。ジャッジするのはあなただけ。


これをしていい、悪い もそう。


何かをしていいかダメなのか、それすらあなたは決めていい権利が当然ある。


だってあなたしかいないから目の前の世界には。


外ものは全てホログラムのようなもので、


あなたを中心に世界は回っている。


それくらいあなた中心の世界なのだこの世は。そして宇宙も。


何かにどんな意味を持たすのか、目の前の存在にどんな思惑があるのかありそうなのか、


そういうを設定するのもあなた。自分自身なのだ。


相手はいるようでいないようなもの。


存在はいるが、意味を持たせるのはあなたの役目。


それくらいパワフルな存在すごい存在なのは忘れなくてもいいと思う。


この世界にひとりぼっちで誰もわかってくれないって感じる時、それは幻想だ。


だってあなただけだから。この世は。


周りにはもちろんいろんな存在がある。でも、それすらあなたが生みの親。あなたもある意味ではこの世界に作られた存在でもあるが。


つまり、1人な訳がないのである。互いに互いを存在たらしめている。支えている。


あなたのおかげでこの世界の存在は今ここで存在できている。あなたという観測者がいない限り幻のままだ。その時点で感謝していないわけがないとわたしは思う。


現にこのブログもあなたが読んでくれているから、わたしは過去で書くことができた。辻褄が合ったおかげで。


もちろん逆にわたしが書いたらからこそ、あなたが今そこでこれを読んでいるという時間が流れ、そしてそこに存在していることができている。


こうやって互いに支え合っている。だから、ありがとう。これからもよろしく(え)



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男性性は、自分の思ったものをゼロから1で生み出すわけではない。


むしろ1からスタートだ。


この1と言うのは受信したもの女性性から感じ取ったものその感じ取ったものっていうのを、


「こう感じました。こう思ってます」っていうの進行形で出すというのが男性性の役割だ。


この"感じたまま出す"いうのは、


女性性が言ってきたことをそのまま受け取ってすべて出さなきゃいけないっていう、義務感からではなく、


女性性が言ってきたことを自分がどう捉えたか、感じたかっていうのをその時の"感覚"で出す。その時の"衝動"で出す。


その時のニュアンス気持ち・本心で出すって感じ。


だから、男性性が女性性が受け取ったものを受け取りながらあぁこれみんなに広めたいなぁとか、


「わかりやすく伝えるなら、こうだなぁ(わかりやすく伝えたいと言う気持ち)」が湧いてきたのであれば、それはそういう意図で出せばいい。


要はみんなにわかりやすく言葉を変換したりアレンジしたっていいってこと。


でもこれがみんなに伝えて意味がないからとか伝えなきゃだめだからっていう義務感から変換すると、それはもう直感とかありのままのあなたではなくなって物事が思うように進まなかったり、思うように伝わらないと言う経験を体験をしたりすることになる。


男性性は実は感覚的なものなので、ある感覚を素直に受信、委ねられたときに思考と言うのは正しく発動する。


思考はあくまで写し鏡なのである。


思考が我を持ち始めると、そこは途端に崩壊する。


男性性こそ実は感覚的であるべきなのである。


ほっといたら、冷静になったり批判的になってしまって、感覚をむしろ押し殺すと言う極端な行動に出やすいからこそ、感覚的というの意識する必要がある。 


私の世界観では、思考は受信機なので


思考こそが受信・感知するというのが大事。


なんで受信機と言えるのかと言うと、女性性が感じたもの思ったこと、生み出したものを、男性性が受け取るからである。


受け取り手が男性なのである。


世の中の性別であえて置き換えるのでも、そうで、女性が受け取りってなのではない。男性が受け取り手なのである。


女性が生み出す側生み出している側感知している側、


その最初に感知したものを、次は男性性が感知して世に広めることができる。定着させることができる。


これが男性性女性性の関係性だ。


実は、女性・女性性こそが0ポイント地点にいるのかもしれない。


直感こそを受け取っているように見えて、実は自分で生み出しているものかもしれない。本当の自分がね。



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信じれば夢を叶う。これは本当だ。


信じればちゃんと叶う。


でも、まだ多くの人はこの信じるというのを努力しなきゃいけないと思い込んでいる。


でも正確には努力が必ずつきものとは限らない。


何かを頑張ったり踏ん張ったり歯を噛み締めたり、そういうことをする必要もないかもしれない。


なぜならここで言うほんとの「信じる」というのは無条件に信じるということだ。


あなたがどんな状況に陥ってもどんな状況になってもどういうことが起きても


どういう展開になってもただ信じる。


信じるを腹落ちさせているか?ということ。


そういう状況になっているならちゃんと叶う。


"許可さえ"していれば叶う。


どんな周りが災難に災難生まれていてもまぁどうせかなうんだけどねって叶うことを信じて疑わなければちゃんと叶う。


これが本当の真意だと思った。



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