今回は「本来私たちは合わせる立場ではなく選ぶ立場である」ということについて書こうと思います。

 

今の世の中で生きていると、周りに合わせなければいけないというある意味一種の強迫観念のようなものが付きまとってしまったりしますよね。

 

浮いてしまうと生きていけないとか、独りになってしまうのが怖かったり、自分自身の本音に自信が持てなかったりすることが、そのような強迫観念のようなものを作ってしまっているのかなと思います。

 

でも私は、多くの人に受け入れられるからと言ってその人の存在自体に価値があるわけではないし、

 

逆に誰にも受け入れられないからといってその人の存在自体に価値がないわけではないと思っていて、

 

人気=価値ではないと考えています。

 

周りとの兼ね合いと自分の意志のバランスをどうとっていくのかを模索することが人生の醍醐味ではあるけど、

 

私たちは自分にしかできないことで世の中に貢献するために生まれてきているので、

 

それぞれみんな違った個性を持って生まれてきているから、人と違う意見、価値観、考え方を持っていることはごく当たり前で、

 

その人の価値に影響を及ぼさないと思っています。

 

また、1人1人得意不得意が違っていて、そこを助け合うと上手くいくようにこの世の中はできているとも考えています。

 

なので、自分の価値を疑って、無理に自分以外の存在に自分を合わせるのではなく、自分に合う人やものを選択することで人生の醍醐味を味わいやすいのかなと思います。

 

このような価値観が私の場合、恋愛にも反映されていて、いくら恋人でも、自分を抑えまくってまでその人に合わせなければ一緒にいれない相手なのであれば別れた方がいいと思っています。

 

自分は自分を偽ることにもなってしんどいし、それで例え相手に好かれていてもそれは偽った自分を好いてくれているということであって、それは嫌だなぁと思ってしまいます。

 

もちろんこれは私の価値観なので、逆に相手に合わせることに喜びを感じるという方ももちろんいらっしゃると思います。

 

その場合はそのままご自分の価値観を大切にしてください。

 

ここでもし私がこのような価値観だからといって、その価値観を無理やり変えてしまったら、

 

それこそ自分を偽ることになると思います。

 

私が言いたいのは、他者に”無理やり”合わせると後から自分がどんどん苦しくなっていくということです。

 

本当は相手に合わせるのが好きではないのに、自分に自信がないからと自分を抑えまくってまで無理に合わせるのは、

 

自分が合わせることによって相手からの愛情をもらい、自分の自信の無さを隠そうという、相手に見返りを求める愛を相手に向けることになると思っています。

 

それって相手にも失礼なのでは?と私は思ってしまいます。

 

見返りを求める愛が悪なのではなく、あくまで私は、せっかく恋愛をするのなら見返りのない愛で結ばれてみたいという願望があり、自分が見返りを求めてくるような相手に好かれても恋愛感情で好きになれないという気持ちがあるから、自分がもし相手にそうしたら相手もうれしくないかなと思うからかもしれませんが笑

 

実際昔、元カレにこの価値観を話した時に、

 

「え、冷たいね。」

 

と言われてしまいました。笑

 

これって冷たいんですかね?笑

 

私としては、自分も無理してまで相手に合わせたりはしたくないし、相手にも無理してまで自分に合わせてほしくないので、それなら別れた方がマシと思っています。

 

恋愛に命をかけている人からすると、冷めて見えるのは仕方ないのかもしれませんが、これは私から相手への精一杯の愛なんです。笑

 

もちろん無理をしてはいけないわけではありません。

 

無理をしてでも一緒に居たいという気持ちが強いのであれば、無理を覚悟で一緒にいたいという気持ちを尊重して、そちらの方向を選択していいし、それがその人にとっての正解なのかもしれません。

 

私たちは本来一人ひとり生き方も恋愛相手も価値観もすべて自分の好きなものを選択して良いんです。

 

合わせる立場ではないんです!

 

なのでこの記事の内容も、ふ~んこんな考えの人もいるんだぁ」くらいな感じで受け取ってもらえたらなと思います。グッ