今回は「どうでもいい」の先の境地について書こうと思う。

 

そもそもの前提として、「どうでもいい」という言葉がダメとか劣ってるとかを言いたいのではない。

 

どうでもいいという感覚の先があることを知ったので書こうと思う。

 

「どうでもいい」って思うって強い。

 

だって執着を手放せてる状態だから。

 

結果がAになろうがBになろうがどうでもいい。

 

周りの人がどう思ってようがどうでもいい。

 

どうでもいい。

 

私は私のやりたいようにやるだけだ。

 

そう思えるって強い。

 

強い意志表示であり最強な状態って思ってた。

 

だが、案外そうじゃないみたいだ。

 

そのがあった。

 

それがなんなのかというと、

 

「どっちでもいい。」だ。

 

響きで既に明らかに軽いのが分かるだろうか。

 

結果がAでもBでもどっちでもいい。

 

周りの人が反対しようが賛成しようがどちらでもいい。

 

他者の評価が自分のやる気が本気でイコールになってない時にしかこの感覚にはなれない。

 

「どうでもいい」って響きが強くてまだ棘がある。

 

咎ってる感じだ。

 

俺は俺で生きてくんだぁ!!って決意していたり叫んでる、宣言してる、そんな雰囲気だ。

 

でも、「どっちでもいい」は”お任せするよ”っていう委ねるエネルギーもしっかりと乗っかっている。

 

受け取り方は任せます。

 

って精神が本当に強くなきゃできない。

 

だって丸ごと委ねるんだもん。

 

やれることをやったらあとはお任せって、想像以上に高度。

 

人は何かをしたら、そのあともコントロールしたくなりやすい生き物だ。

 

でもそれを断ち切る。

 

本能を断ち切るくらいに凄いこと。

 

どっちでもいいと思えてる時のその人の心理状態としては、

 

「今、みんなに評価かれてもされなくても、自分のやったことの価値は変わらない」って思っている状態だ。

 

自分がやっていて「価値がある」と思えばそれには価値がある。

 

そのまま変わらない。

 

他者にああだこうだ言われても価値は変わらない。

 

認めなかった他者はただ、その時は気づけなかったというだけである。

 

それが分かってる状態の時に人はこの最強モードになれる。

 

「どうでもいい」も最強だが、

 

本質的な側面から見ると「どっちでもいい」の方が核がしっかりしてるという点で、最強ではないだろうか。

 

「どうでもいい」ってどこが突き飛ばしてるイメージが湧く。

 

分かってもらえない前提だからだ。

 

どうせ分かってもらえない。なら初めから突き飛ばしておこう!

 

みたいな。

 

でも「どっちでもいい」って、反対も許容している。

 

賛成を必要以上に囲いこむわけでもなく、反対も賛成と同じように隣にいることを許可する。

 

まじ最強。

 

強くいることを放棄してるからこそ得られるものだ。

 

みんな初めは強くなりたがる。

 

強くいることを放棄すると、弱くなるから。

 

でも、弱くなることを恐れないって、実はめちゃくちゃ強い。

 

だから結果強くなる。

 

物質的な強さも素晴らしいが、

 

精神的な強さも同じくらい素晴らしい。

 

「どうでもいい」はガソリンのような燃料で動く。

 

「どっちでもいい」はクリーンエネルギーのようなで動く。

 

ガソリンはパワフル。

 

クリーンエネルギーは穏やか。

 

「どうでもいい」は一時何かを強い力で振りほどくときに有効。

 

でも「どっちでもいい」は自分で在り続けるのに有効

 

ガソリン燃料の方が使われるのが早かったように、

 

「どうでもいい」の方が早くたどり着く。

 

「どっちでもいい」はその後にたどり着く。

 

だから、「どうでもいい」と思うことを未熟と思わず、在るがままかんじることで、

 

だんだんその先の「どっちでもいい」が分かってくる。見つかってくる。

 

そう思った。ぽってりフラワー

 

 

 

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今回はとある本との出会いについて書こうと思う。

 

この本と出逢ったのは数年前。

 

本屋でたまたま目に入って一目ぼれ。

 

吉田松陰のたくさんの言葉をテーマごとに現代に訳してまとめてくれている本だ。

 

中をパラっと読んだだけでも、「うわ、これ好きっ!」ってなって即購入決定。

 

その頃の私は「何かに全力になりたい!」と思っていた時期で、

 

その本のタイトルからしてめちゃくちゃときめいたのだ。

 

昔から「でっかくなりたい」「成し遂げたい」みたいな野心があった。

 

でも、肝心の燃料がなかった。

 

何に命を燃やせばいいのか。

 

それがいまいち分からないでいた。

 

本の上の方に書いてある『時代のすべての異端児たちへ』という言葉に痺れまくった。笑

 

私の中の中二病心が「うひょ~!」ってなった。笑

 

この本を家でゆっくりマイペースに読んでみ進めていると、

 

痺れすぎて涙が出ることもあった。

 

「私もこんな風に生きてみたいっ…!」

 

と私の中の何かが共鳴しているみたいだった。

 

その本の核である吉田松陰という人物は歴史の授業やアニメ作品などでうっすら知ってはいた。

 

でも、まさかこんなに熱い人だったとは思わなかった。

 

どんな生涯かを知らなくても、彼の価値観・考え方、美学に触れるだけでも分かる。

 

そして読み進めていって、彼の美学に触れていくにつれ、

 

私はある一つのことが分かった。

 

「あ、私、吉田松陰のような先生になってみたい」

 

と思っていることが。

 

彼は自分の美学を熱く語り、生徒を燃え上がらせた。

 

それが明治維新につながる。

 

明治維新が正しかったかどうとかをここでは話したいわけではない。

 

ただ、それくらい彼の革命への欲求がものすごかったということは確かである。

 

よりよくしていきたいという成長意欲がものすごかったように思う。

 

それが彼を若くして亡くなるという運命に導いていたともいえるが。

 

私もこの本を読みこむ前から、SNSを使って発信活動をしている。

 

「自分にとって正解と思ったこと」を発信している。

 

自分なりの美学である。

 

彼と似ていることを私はしているんだなって思う。

 

先生という言葉は「先を生きる」と書く。

 

みんなが見えていないものを見て伝える。

 

それが先生なのかもしれない。

 

支配でも強要でもなく。

 

彼は生徒に教えていったことを体現した結果、処刑により亡くなっていった。

 

亡くなったということだけを切り取れば、それは悲しいことなのかもしれない。

 

でも、彼がそこまでして己を貫いたからこそ、明治が作られた。

 

明治時代には光と影がある。

 

でもそれはいつの時代も同じだ。

 

令和だって光と影がある。

 

闇ばかり見るわけでもなく、光だけを見るだけでもなく、

 

ただあるがまま感じてみる。

 

それが次の時代へつながるのではないかと私は思う。

 

 

では、ここからは本の中の言葉をいくつか紹介したいと思う。

 

迷うなぁ~笑 どれにしよう…

 

『リーダーは忘れてはいけません。

 才能のある部下がいないのではなく、

 部下の才能を引き出せる人物が、

 まだこの場にいないだけということを。』

 

『評価する人が誰もいないところで、

 どれだけ人の悪口を言わずにいられるか善行を重ねられるか。

 正々堂々と戦えるか。 

 それらの行いがすべて「人間性」として現れます。』

 

特に上の言葉、風の時代にぴったりだと思う。

 

風の時代はみんながリーダーである。

 

周りの人がどうとかではなく、

 

自分が周りの人をどう活かすか。

 

ここにかかっている。

 

そう思う。

 

あと一つ、これはYouTubeの方でもラジオで紹介した言葉。

 

『心からやりたいと思うことはなんでしょうか。

 それを「やりたい」と思うのはなぜでしょうか。

 自分の欲求をとことんまで追求すれば、

 皆、同じところに行き着きます。

 「自分は自分のことを愛している。

 そしてそれと同じくらい、皆のことも愛している」

 ということに。

 その性質は、天とか神様が作ったもの。

 天とか神様というのは、もともと愛が好きなんですね。』

 

これはほんとにやばいと思った。

 

風の時代に入り、昔よりみんなが自己愛に目を向ける時代になってきた。

 

それにつれ「愛」について語る人、スピリチュアル的な考えにも思いを馳せる人が増えてきた。

 

私含め。

 

でも、彼は幕末を生きた人。

 

しかも宗教関係者とかでもない。

 

なのに、、、こんなこと言う人、江戸時代にいたんや…って思った。

 

今の時代みんながやっと気づいてきていることを、彼は幕末にやっていた。

 

体現していた。

 

「己を生きる」を。

 

風の時代風の時代言ってしまったが、

 

これはいつの世も大事なことだと思う。

 

でも、特に占星術的に2020年頃から始まった「風の時代」は、間違いなく「個」の時代である。

 

「さぁ、君はどう生きるのかい?」ニヤリ

 

と松陰さんが私たち”一人ひとり”に問いかけてくれているような気がする。流れ星

 

 

 

※『』の中の言葉は、覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 /著:池田貴将より引用。

 

 

 

 

 

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今回は妄想は侮ってはならないと思うということを書こうと思う。


妄想と聞くと、無駄なものや意味のないものと捉えちゃいがちだと思う。


でも、妄想は実はすごいパワーを秘めている。


だって思考は現実化するんだから。


妄想は意図的にするモノ。


てことは自我が作っているものでもある。


そこが夢と違って面白いところである。


夢は潜在意識が作っているので、意味不明で奇想天外。


だか妄想はそうではない。


自分で決められる。


誰といてとかどこにいてとか何をしてとか。


これらは自分の頭の中では自由なのだ。


妄想の世界は、宇宙空間でもある。


自分という創造主がその世界を作っている。


実はその妄想こそ、現実創造にものすごいパワーを秘めている。


現実は自我のテリトリーだ。


自我がなければほとんどやることがない。


動いて触って感じる。


それらは自我のなせる技だ。


現実は自分で作る。


作っている。


今も昔も。


「水を飲みたいな」と思うから水を飲む。


これをめちゃくちゃ細かくいうと、水を飲む妄想をして美味しそうと思うから水を飲む。


こういう流れが起きている。


日常的すぎて妄想をぶっ飛ばしてる感覚かもしれないが。


でも、これが仕事のビジョンだった場合どうだろう。


仕事のビジョンは水を飲むことよりも難易度が高いかもしれない。


でも理屈は同じだ。


「東京にオフィスを構えたい」


そう思う時というのは、東京にオフィスを構えている自分を想像する。


そしてしっくりくるから望みになる。


水を飲めるのを信じて疑わないから水が飲むために動く。


そして結果として水を飲める。


オフィスもそうだ。


構えられるって疑わないから構えられる。


というか、そもそも妄想できなければそれは現実化しない。


この世界のさまざまな物たち、スマホや車、飛行機なども全て誰かの頭の中で思い描けたことがスタートだ。


ないものは作れない。


それと同じだ。


バイトがない世界でバイトを生み出すには、まずバイトという概念のビジョンが誰かの頭の中に思い浮かばなければならない。


宇宙存在たちはそれについての情報(パーツ)を脳内に送ってくれる。


宇宙自体も、ある意味では神様の妄想から始まっている。


現実は幻だ。


あるけどない。


神様(意識)がこれいいなと思ったから、地球もある。


体験したいと思ったから人として生きている。


思い描ける+いいな、しっくりくるなとワクワクするのであればそれは叶う。


途中で投げ出さない限り。




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