感情は自分自身ではない。
よく他でも言われているかもしれないが。
感情というのは、自分の見つけたい「自分自身」の光の"ヒント"でしかない。
これが嫌、あれが嫌、これが好き、あれが好き
など。
そうやって自分のデコとボコが感覚的に掴めるように「感情」というものがある。
目が見えない時、人は触れてそのものの正体を掴もうとする。
実際私たちは目には見えない「生きがい」や「自分自身」を感覚を使って判断(掴もうと)している。
なんのために生まれてきたのか。どんなものに感動するのか。感情は目には見えない。感覚も。
でもそれが私たちの根幹を握っている。
そこが機能しないと自分はいないし、感覚が嫌がっているものをやり続けても続かない。死にたくなる。
感覚は感情の一枚上だと思う。
感覚器官が、感情というものを使って自分を掴もうとしている。
そしてその下(感情の下)に思考私たちがいる。
「私」は思考である。
ここはひたすら目の前のものを見る、認知するのが仕事だ。
思考が拾ってきたものを感情が感知し、感覚が感知する。
思考は本来上に昇華(引き上げ)して、判断を待つのが仕事だ。
感情で嫌なものは嫌なのである。
思考で一人歩きしようとしてもそれは無駄に終わる。
だって感情は思考より素直だから。そしてそっちの方が核に近い。思考はあくまで後付けだからだ。
悲しい→私が悲しい というように。
でもこの感情に振り回されてはいけない。
初めに言ったが、感情も自分自身ではないからだ。
ただ、自分の核がここらへんにあるよと教えてくれているサイン(センサー)だから。そのサインたちを使って、私たちは自分を知っていく。
あなたの形が今六角形なのか三角形なのか、その"辺"を触る段階が感情なのだ。
今の自分、そしてその中には何があるのか。
それを教えてくれるのが、感情である。
