【いつも思う】仲間をつくることは敵をつくることか |  やさしい世界のつくりかた

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ボクは一般企業で

会社員として

20年間過ごし

42歳で退職

今はフリーランスで

主に動画編集を

仕事にしている

 

 

 

 

 

目次

 

1.はじめに:ひねくれ者のボクがいつも考えていること

 

2.仲間をつくることは敵をつくることか

 

 ①必ず別の見方がある

 

 ②逆がある

 

 ③その上で何を言うか

 

3.まとめ:まだこのブログで何も言ってないボクへ

 

 

 

 

1.はじめに:ひねくれ者のボクがいつも考えていること

 


 

ボクは

変なところにこだわりがあったり

そのくせ大事なところには無頓着だったり

時にガンコであったり

飽き性だったりもする

 

 

その上

結構ひねくれている

 

 

めちゃくちゃである(笑)

 

 

ひねくれ者のボクが

いつも考えていたのは

 

例えば

「批判をするのはよくない」

という意見があったときに

 

「いやそれも批判だよね?

 批判してる人を批判してるんだよね?」

 

という批判や

 

「否定的なことは言わない」

 

という人がいたときに

 

「それって否定文ですよね?」

 

という他者への否定的な思いだ

 

 

今日はそんなことを書いてみる
 

 

 

2.仲間をつくることは敵をつくることか


 

①必ず別の見方がある

 

 

すでに

「はじめに」で言いたいことは

終わっている(笑)

 

しかし

もう少し膨らませて書いていく

 

 

物事には必ず別の見方がある

 

例えになるかわからないが

「1,000円は高いか安いか」

と言われたら

「10,000円と比べたら安い」

「100円と比べたら高い」

「家賃としては激安」

「明治時代だったら激高」

「アフリカにいたら使えない」

と比較するものや

文脈によって変わってくる

 

 

結局

全てのことが

「比較対象に

「文脈によって変わる」

「時と場合による」

「前提条件による」

ということになる

 

 

逆にいえば

なんの文脈も持たないような文章は

あまり意味がないと言えるのかもしれない

 

 

 

 

②逆がある
 

つまり

「1000円は高い」

と言った時に必ず

「低いという見方も存在する」

 

 

また

「仲間をつくることはすばらしいことだ」

と言った時に

 

仲間をつくった瞬間に

仲間でない人が生まれるとも考えられる

 

 

少々乱暴かもしれないが

仲間をつくることは

敵をつくることと同じとも言える

 

 

もちろん仲間でも

敵でもない人というのがいるので

そう短絡的には考えられないとは思う

 

 

 

③その上で何を言うか

 

 

結局そういう

逆の意味

別の立場

違った見方

があることを知ることは大切だと思う

 

 

しかし

それに配慮しすぎると

何も言えなくなる

 

 

もともと言葉は

不確実なものだし

意図したものと違って

伝わったりする

 

 

それでも

言葉にして発信していくことは

とても重要だ

 

 

重要というか

「楽しいゲーム」

のようなものであると思う

 

 

わかり合えないものどうしが

言葉や

それ以外のものを使って

どうやったら少しでも共感できるかという

壮大なゲームなのかもしれない

 

 

そのゲームを

楽しむために

何かを発信していこう

 

 

 

 

 

3.まとめ:まだこのブログで何も言ってないボクへ

 

 

というわけで

ボクはこのブログでは

まだ何も言っていない

 

 

もちろん

「いろいろ自分の意見を言ってきた」

とも言えるが

まだ言ってないとも言える

 

 

明日もまた続けていこう

 

 

 

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