【分析の先にあるもの】みんなが求めるものを提供していくことで幸せな世界になるか |  やさしい世界のつくりかた

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ボクは一般企業で

会社員として

20年間過ごし

42歳で退職

今はフリーランスで

主に動画編集を

仕事にしている

 

 

 

 

 

目次

 

1.はじめに:データが示すみんなが求めるもの

 

2.みんなが求めるものを提供していくことで幸せな世界になるか

 

 ①分析は必要

 

 ②否定的なものを欲するボクら

 

 ③本当に幸せが待っているのか

 

3.まとめ:みんなの幸せとひとりの幸せ

 

 

 

 

1.はじめに:データが示すみんなが求めるもの

 

 

ブログやツイッターやYouTubeなどで

いわゆる「バズる」コンテンツというのは

どういうものかといえば

みんなが求めているものだと言えると思う

 

これについて

考えてみたいと思う

 

 

 

 

2.みんなが求めるものを提供していくことで幸せな世界になるか


 

①分析は必要

 

 

例えばYouTubeなどで

どんな動画が再生回数が多いのか

など分析をすることで

 

どういうものが

求められているかがわかる

 

当然求められているものを

提供しようとするので

ある種のパターンができるし

似たようなものを提供することになるかもしれない

 

 

提供される側は求めていたものが手に入り

提供する側はそれによって

より多くの承認や収入を得たりする

 

 

WIN-WINの関係であり

これを繰り返していけば

お互い幸せになっていくはずである

 

 

②否定的なものを欲するボクら

 

しかし例えば

ボクらが思わず見てしまうものは

実は

「恐怖を煽るもの」

「他人の不幸」

「これをやってはいけない」

など

否定的なものが多いことに気づく

 

もちろんそればかりでないが

テレビでも

ネットニュースでも

YouTubeでも

これはそのようなタイトルのものが

よく観られているようだ

 

 

ボクたちはいつもどこか不安で

だから他に恐怖がないかと探し

他人の不幸を見つけては少しはマシだと自分を慰め

やってはいけないと自分を振り返るより先に

それをやっている誰かを探してしまう

 

 

その結果を分析し

コンテンツづくりに反映して

ますます

そういうコンテンツが増えていく

 

 

③本当に幸せが待っているのか

 

それを積み重ねていった先に

本当に幸せな世界が待っているのだろうか

何となく違うような気もする

 

世の中が求めていることを

分析して

数字に置き換え

反映したところで

自分が求めている世界ではなくなってしまう

 

 

自分が「世の中」に

含まれていない

という状態が発生してしまう

 

 

 

 

3.まとめ:みんなの幸せとひとりの幸せ

 

 

分析が間違っているとは思わないが

 

一人一人が求めているものを

数字に変換して

積み重ねていったとき

誰も求めていない結果が出ることがある

 

みんなの幸せを求めたはずが

誰も幸せになっていないという状態は

よく起こっているような気がする

 

 

分析も大切だが

最終的な自分の幸福や

自分の体感というものも

大事にしていきたい

 

 

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