コロナウイルスの事だけじゃなくて、アメリカを中心に

世界中で色々なことが起こっていて、怒っていて

それらに対して自分自身も感じる事、色々と思う事が多い今日この頃だけれども

ハンガリーはハンガリーで

昨日はアメリカ大使館前で抗議デモが行われていたようだし

数日前の6月4日は、トリアノン条約調印100年を迎えた日でした。

個人的にはこれといって何をしたわけでもないし

大使館からはデモの注意喚起のメールが来ていたし

自分自身、特に色々と余裕がない状況だったから

家で粛々と自分のやるべき事に取り組んでいたのだけど。

特に6月4日に関しては

改めて、この国で学ぶことを選んでよかったと思うきっかけになりました。


高校時代、

・カタカナが苦手
・時間把握が苦手だから、歴史は縦の繋がりだけで手一杯
・空間把握も苦手だから、国の名前と場所を覚えられる自信がない

という理由で日本史をメインに選択したのだけど

10年経った今、西洋音楽を欧州で学んでいるし

必要に駆られて、5月後半からずっとフランス革命の頃の時代について色々と調べていたし

苦手を理由に逃げたものは、10年以上経ってもちゃんと追いかけて来るんだと痛感。



多くの、様々な、ハンガリーの友達が

少し前から様々な記事をfacebookに投稿していて

改めて色々と感じるものがたくさんありました。

「ハンガリーは小さくなった」ということに対してもそうだし、「ハンガリー人」というトピックに関しても

普段から話題になる事が多々あったし、その度に、色々教えて貰ってるからこそ

ハンガリーが領土と人口の多くを失ったトリアノン条約について、何も言わないです。

それに、フランス革命についても感じたけれど

100年以上前のことは、実際に今生きている私たち、誰一人も経験していない歴史だけど

それでも「続いてる」からこそ、現在進行形で経験しているであろうからこそ

やっぱり部外者であるわたしは、事実を理解出来ても、本当の意味で気持ちを理解することは出来ないと感じるし

だからこそ、事実を理解する必要があるのだと思ったし、想像することを怠ってはいけないと感じました。

そして、その事実に対して、良い悪い、と判断を下すことや

攻撃的・否定的な姿勢になる事は、絶対に自分はしないようにしよう、

それと同時に「考えない」というスタンスも絶対にしないようにしよう、と思いました。

だからこそ、一部で話題になってる、字幕YouTube動画に対して悲しいなと思いました。



それこそ、日本人であるわたしにとって「武士道」だったり「侍魂」と言われるものに対して

もちろん、実際に本物の武士や侍に会ったこともないし、実際のその時代を知っている訳じゃないけど

具体的なイメージや概念こそはないものの、やっぱり、日本について話している時、「自分の中にも流れてるなぁ」と思うものはあるし

だからこそ「革命」を知らないわたしは、革命を知らないからこそ革命を知る必要があるし、想像する必要があるのだろうなぁと。

それが国民性だったり、お国柄と表現されるものに繋がってるのかもしれないけど。



つらつらと書いたけど

とあるYouTubeチャンネルが好きで、配信される度に必ず見ているのだけど、彼らの動画を見れば見るほど

自分が外国人として外国に住んでいるからかもしれないけど、色々と心が震えることばかり。

その影響と、思い出散歩過多の為、最近エセ関西弁が復活してるなと思うことが多々あるけど

色々と調べて、考えることがたくさん。



両親からのアドバイスで

「今を肯定する為に、過去の選択は否定しない」ことを

「声種を転向する為に、大学5年生をする」と決めた時から心がけてるのだけど、そんな感じ。

その分、ため息と後悔ばかりだけど、まぁ仕方なし。



そういえば、スイカを買いました。



家でガンガン歌ってるのが「大きなお友達」がいて安全と思われたのか、

今年は、アパート内に鳥さんが新居を構えたようで、とても賑やかで、爽やかです。

賑やかだなと思っていたけど

電話する度に家族や、友人にも「外にいるの?」と質問されるくらい、向こうにもハッキリ聞こえてる模様。

鳥が静かになると、突如曇ってきたり、雨がザーッと降り出すので

色々な意味で、とても良い。

スイカは美味しかったです。