だいぶ経ってしまったけど、10月23日、ハンガリーは祝日でした。
そして、どうしても行くならば、なんとなく10月23日に行きたいと思っていた恐怖の館へ行きました。
今回はやっと心を決める事ができて、恐怖の館へ行って来ました。
ハンガリーに来たからには行きたいなぁと思いつつ
「近いからいつでも行けるし、誰か遊びに来た時に一緒に観光するし、(その人が希望したら)行こう」
と思うこと3年目。
3度目の正直、ではないけれど
「ハンガリーが"自由"を手に入れて30年、わたしも30歳。ハンガリー動乱と違うけど、なんとなくわたしもハンガリーも節目の年だから、今年のどこかの祝日に行かないと。」
と何となく思って、お昼ご飯を食べたらやっと覚悟が決まったので行ってきた。
恐怖の館、展示館内写真撮影禁止。
だから写真は、入り口のところのと、カフェテリアの、この2つだけ。
ただ、「撮影禁止」と書いてなくても撮影する気なんて起こらず。
覚悟を決めて行ったにも関わらず、地下の牢獄や拷問部屋では
お腹の辺りがグワグワして涙が出そうだった。
恐怖の館だけ行って、そのまま家に帰るつもりをしていたけど
なんとなく心がザワザワしていたので、せっかくなので、ナジ・イムレ像を見る為に、ドナウ川沿いを歩きつつ、Kossuth Lajos広場までお散歩。
1956年の様子を再現して、色々やっていました。
京都で一緒に学んだ友達の中で
一般大学で音声学(だったかな?)の学位を取得してから音楽の道に進んだ子がいるのだけど
その子と、ついこの間のLINEのやり取りで
「日本は"自由"という単語を持っていなかったはず」と教えてくれたことを思い出した。
「自由っていう日本語は、恐らく明治時代以降に生まれた言葉だろうね」と話していたのも思い出した。
ハンガリー語のszabadságって訳すと「freedom、自由」だけど、「自由」って何だろうなと。
そんな10月23日は国旗の真ん中が、ぽっかり空いてる日。
誰かと行かず、1人で行ってみてよかった。
歴史とか背景とか、そういうことを知りたいと思うし、そういうことは好きなのに、なんせ歴史が苦手なことが辛い。覚えられない。
勉強は苦手なので、やっぱり、絡み合う事実と事実に頭がこんがらがって思考が停止する。
「カタカナ、横(国と国)の繋がり・関連付けが苦手だから。縦(時代)の繋がりだけで精一杯」という理由で
高校時代のわたしは日本史を選択したのだけど、高校時代、世界史選択してたらどんな視点で見てるのかな。