本文は除いて、詩句だけ掲載します。朝起きたときは、体調不良で頭の働きが優れなかった。

文章をまとめて書けるかなと体調と相談しつつ、まさに「第12章 果敢なる努力」のタイトル通りです。

大乗仏教に出てくる「菩薩」という言葉の由来は、私としては旧約聖書の預言者の意味である。私としては新約聖書のイエス・キリストと使徒たちの意味合いを兼ね備えているという理解です。

 

17節
*イザヤ書
*白いハスのような聖典:〔第11章 宝塔の出現〕

詩句
Hallelujah!
1. 福音書では、数ある預言書の中でイザヤ書が一番多く引用されている。イザヤ書を精読することは福音書の理解に不可欠です。
2. イザヤとは、「ヤハウェは救い」という意味である。イザヤ書の構成は「第一イザヤ」、「第二イザヤ」、「第三イザヤ」と三つに分類することが定説になっています。66章あるので、忍耐強く読んでいきましょう。
3. イザヤの最期は、民の手によりノコギリで挽かれ殺されたそうです。かなり衝撃的な話です。
4. 「現代語訳 法華経」の第10章 教えを説く人から第20章 如来の神通力の顕現までは、私の直感ではイザヤ書の思想が底部の下地になっているような気がする。それだけイザヤ書は菩薩たちが登場する後編に諌めの楔になっているような気がする。勧奨でもある。「その人は」、「偉大なる聖仙は」という言葉がたくさん述べられています。イザヤ書を読むと「イスラエルの聖なる方」という言葉が脳裏に焼き付いて離れない。


18節
*創世記15:1-21ヤハウェとアブラムとの契約及び24:1-67イサクの嫁探し
*白いハスのような聖典:〔第12章 聖典を宣揚する努力〕

詩句
Hallelujah!
1. 第11章 宝塔の出現においてたくさん登場する大いなる弁才を持つものという菩薩ですが、この第12章にも登場します。「大いなる弁才」とはまさに預言者イザヤのことです。
2. 偉大なる聖仙に対する尊敬の念によって、そのすべてを耐え忍びましょうと。イザヤ書に語られている「イスラエルの聖なる方」を彷彿と思い浮かべます。
3. 恐るべき後の時代という言葉が出てくるのですが、以前からどうして恐るべき時代なのかと不思議に思い、通り過ぎてきました。イザヤ書の中で述べられている時代背景があると考えます。イザヤ書を読まないと言葉の真意がなかなか至らずに理解に疑問符がつくことが多いのが、この現代語訳 法華経の特徴です。