聖書と法華経の旅する物語
第3章 法華経は聖書であるという証明文書
白いハスのような正しい教えを説いた聖典:〔第10章 教えを説く人〕
白いハスのような正しい教えを説いた聖典は第28章まであります。各1章ごとに簡単に聖書であるという説明を加えていきます。まだ第10章です。これより「菩薩」が登場します。
「聖書と法華経の旅する物語」の原本は2019年頃に書き上げました。それから英語の「NEW HORIZON English Course」の勉強に3年近く勉強していました。「聖書と法華経の旅する物語」の原本はそのまままったく読まなかった。
それから5年ほど経過して、「NEW HORIZON English Course」はまだ勉強中です。
聖書と法華経を読みながら、5年前の本を最新版に校正できるか不安でした。ここ1か月の手応えではなんとか文章はまとめられそうです。ただ時間がかかる。この間にはAIが開発されて進歩しました。
文章を書いてだれかに校正してもらいたい。Word 2019にも校正する機能はあります。それ以上に、グーグルドキュメントのAI校正機能は素晴らしいです。助かる。
忍耐力が要求される。
渋谷のハチ公前で「法華経は聖書である」という看板持ちをしています。外国人に"What's this?"と言われても答えない。これは何ですかとたずねられたら、「根性」だと答えるしかない。ものすごく仕事帰りで体が疲れている。もう「気力・根性」以外になにもない。
大乗仏教の信仰活動は、「善根」を積むことができる。「功徳・善根」の重要性を誰よりも認識して頑張っているわけです。生活の糧を得る賃金労働は重要ですが、「利益(りやく)」を生じる活動が、東部に届いているだろうと信じる。
16節
*創世記における15章のアブラム契約から26章最後の26-誓いの井戸まで
*白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕
福音書の記述には、多くの病に苦しむユダヤ人を癒す救世主であられるイエス・キリストの姿が描写されています。白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕に登場する薬王ボサツはイエス・キリストに由来すると考えます。
聖書の創世記における15章のアブラム契約から26章最後の26-誓いの井戸までを参考にして書かれているのが白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕の文書です。
創世記24:1-これ以後の文章には、水汲み女、水を湛える井戸、水瓶の水とかの言葉が出てきます。創世記21:22-33に記述されている誓いの井戸と26:26-32における「その日のこと、イサクの召使いたちはやって来て、彼らが掘った井戸に関して報告して彼に言った、水を探し当てました。」そこで、上記の文章を参考にされて、白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕では、高原で水を求める比喩が説かれ、悟りの近くにいるか、悟りから隔たっているか巧みな論述で語られています。
創世記24:1-ここの最初にはアブラハムが自分の召使いを我が子イサクの妻を探すために派遣する場面がありますが、これは白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕の中で、如来が神通力で作りかえた人を遣わして、教えを聴く人々を集める記述と絵が重なります。この召使いの仕事は物語の上でとても重要です。
次の創世記の文と〔第10章 教えを説く人〕の最後の文、すなわち詩句は同じ詩歌のように重なり合って見えます。
創世記22:15-ヤハウェの使いが再び天からアブラハムに呼びかけた。彼は言った、「私は自分自身に誓った。あなたはこのことを行い、息子さえも、あなたのひとり子をも惜しまなかった。必ずや、私はあなたを祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂の粒のように多く増やすであろう。あなたの子孫は敵の門を勝ち取ろう。」
創世記24:60-彼らはリベカを祝福し、彼女に言った、
「妹よ、あなたは何百万人もの人の母親になるでしょう。
あなたの子孫が、彼らの敵の都市を征服するように。」
(嫁ぐ娘を送り出すときの祝詞(しゅくし)だそうです。)
英文
May you, sister, become the mother of millions!
May your descendants conquer the cities of their enemies!
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そこで、白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕の最後の詩句を読んでみます。「もしも教えを説く人に親しく近づくならば、速やかにボサツの道を得て、この者に従順して学ぶならば、ガンジス川の砂の数ほどの多数のブッダの姿を見ることができるであろう。」
上記の文章では、読み始めにおいて意味がつながらない感じがします。しばらくすると次第に水が真っ直ぐに頭に通じて来るように流れてきます。私は同じ語調として絵が重なって見えます。ガンダーラの仏教僧の言葉で変えて述べたものという理解です。
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【予言】という言葉は、国語辞典では「予」は「預(あらかじめ)」の略字だと書いています。未来を予測して言うこと。ブッダ・如来からの男女出家者、すなわち声聞衆(しょうもんしゅう)への予言は、ブッダと弟子との契約であると考えます。予言の本質は契約である。
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エレミヤ書1:11-13
11 ヤハウェは私に尋ねた、「エレミヤ、あなたは何を見ていますか。」私は「アーモンドの木の枝を見ています」と答えました。
12 ヤハウェは言った、「あなたは正しい。そして、私の言葉が思いどおりになるのを見ている。」
13 それからヤハウェは再び私に語られた。「他に何が見えますか」と尋ねた。私は答えました、「北の方角から鍋が沸騰しているのが見えます。そして、それはこの方向からひっくり返ろうとしています。」
目覚めの木はアーモンドの木を指します。別の書ではあめんどうの枝と表されていています。冬の終わりに未だ眠っている他の植物に先立って花を咲かせるので、「目覚めの木」という象徴的な意味を持つそうです。目を開いて窓を広げましょう。
私の体験観察では、梅の後にアーモンドの花が咲きます。その次にソメイヨシノが咲くのを確認しました。梅の花よりは遅いです。
このあなたは見ているか、私は見ていますという言葉のやりとりは、白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕の前半のページと〔第25章 華やかに荘厳された王と家族の過去物語〕の後半のページにあります。聖書のエレミヤ書を参考にされたのでしょうね。
白いハスのような聖典の中心思想は〔第2章 ただ一つのブッダの乗り物〕の一仏乗の理法と〔第15章 如来の寿命の長さ〕に説かれる久遠実成(くおんじつじょう)であるとよく述べられています。私が言う「法華経は聖書である」という立場から考察すると、法華経の文学性が重要であり、物語の流れは継続しているので、各章の教えを平等に尊重すべきである。神を象徴する世尊とイエス・キリストに由来する薬王ボサツは「白いハスのような聖典」の全章において、随所に登場してきます。優劣を付けて章を区別する考えを私は好みません。
詩句
Hallelujah!
この「教えを説く人」の章に登場する薬王ボサツはイエス・キリストに由来します。そして「現代語訳 法華経」の全般にわたって言えることは旧約聖書、特に創世記の物語が参考にされていることが考えられます。創世記のイサクが浮かんできます。イサクは「水」に関連して登場します。日本昔話のわらしべ長者でも気分が悪くなった旅の女性に水分の多いみかんを与えたり、ぐったりして死にそうになった馬に水を飲ませたりした姿が浮かんできます。
この白いハスのような聖典:〔第10章 教えを説く人〕には砂漠の乾燥した大地から、井戸を掘る譬え話が語られています。井戸を掘っていて少しずつ水の混ざった湿り気の感じられる掘り井戸を悟りに至る譬えに取っています。
この「教えを説く人」では、写本、花やお線香、旗やのぼり、そして音楽などの礼拝の供養の描写が繰り返し述べられています。建物があり、寺院や教会の内部で行われている宗教活動だと思います。
集会の中にあるので大乗仏教の寺院をイメージできます。教えの写本があり、花飾り、焼香、合掌しつつ、音楽を鳴らして仏を供養する日常の信仰生活が香ってきます。