マイ著書である「聖書と法華経の旅する物語」には日本昔話の「笠地蔵」の物語を、「ルカによる福音書」の10章の述べられているサマリア人(びと)に親切にされた人の譬えに拠ると話しています。

通常、日本昔話は新約聖書と旧約聖書の両方の記事から物語を書いている。

旧約聖書は「創世記」である。

地蔵菩薩はサンスクリット語を現代語訳にすると“大地を胎内とするもの”という意味になる。

地蔵とは「クシティガルバ」という。クシティは大地、ガルバは「胎内」とか「子宮」の意味である。

地蔵菩薩の頭が生まれたばかりの赤ん坊のように頭がツンツルリンです。よだれかけも付けている。

創世記の2章7には、「神ヤハウェは大地の塵をもって人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き入れた。そこで人は生きるものとなった。」“大地を胎内とするもの”です。

私も律法の理解が不完全です。ユダヤ五千年の社会で生まれ育った人間ではないから。

半殺しにあった旅人を見ながら通り去った祭司とレビ人は冷たい人ではない。彼らは半殺しにあった人が死人と思ったようである。

律法によれば、死人に触れることは身が穢れると教えているからである。だから彼らは律法を守り、死人から回避したのだ。なるほど。