アーモンドの花です。3年にわたる園芸で痛切に至極学んだことは、アーモンドは日光が一番大切であること。そして絶対に強い枝葉の伐採をしてはならないことを猛反省しています。場所が借地で狭すぎるなんて理由にならない。知恵を出せ!!いい勉強になりました。

 

 

「花咲かじいさん」という有名な日本昔話を聖書の観点から語ってみたいと思います。

物語の始まりにはいつも決まっておじいさんとおばあさんが住んでいました。そして2人には子どもがいませんでしたというくだりは、いつも話している通り創世記のアブラハムとその妻のサラを表しています。

 白い犬であるシロはイエス・キリストを表しています。隣の欲張りじいさん、ばあさんはモーセの律法を尊崇する祭司長やファリサイ派の立場を表しています。隣人の欲張りじいさんに殺されたシロ。

 正直で優しいおじいさんとおばあさんは、創世記のアブラハムとサラに由来します。ところが、必ず登場する意地悪なおじいさんとおばあさんについて特段説明はしてきませんでした。となりの隣人は考えが不足してそこまで至りませんでした。

 「出エジプト記」の20章には十戒が述べられています。その9番目と10番目を読んでみましょう。

9.あなたはあなたの隣人に対してうその証言をしてはならない。

10.あなたはあなたの隣人の家を欲しがってはならない。

 よく昔話に隣のおじいさんがちょっかいを出してくるのが印象として多いです。重要な「十戒」を忘れないようにしましょう。

 隣のおじいさんに殺されたシロを、飼い主のおじいさんは土に埋めて、木を1本植えました。これは十字架を立てたことを表しています。後にこの木で臼(うす)を作りますが、意地悪じいさんはこの臼を割って壊してしまいます。イエスの体を破って霊が湧出する、→臼を燃やした灰、この灰こそイエスの霊である。おじいさんが臼を燃やした灰を枯れ木にまくと美しい花が咲きます。

 臼を燃やして残った灰がイエスの霊であると知ることは、その功徳は無量百千万億である。

 おじいさんが灰をまいて見事に枯れ木に花が咲きます。これは「民数記」17章:16~28までの“アロンの杖”という物語に由来します。アロンの杖だけにアーモンドの花が咲き、アーモンドの実を結んだとても良い話を読みました。

 花咲かじいさんという日本昔話を読む人は、聖書の創世記と出エジプト記と民数記を読む人である。作者の心の世界がこのように広がっているように感じます。この旧約聖書の並木道をシロことイエスが、福音書の主である方が歩いているような気がする。背景に旧約聖書の屏風が置いてあり、その表舞台をイエスが歩いているような、つまり創世記から出エジプト記、そして民数記へと犬を連れて歩くおじさんの姿が見える。

 シロが吠えた“ここほれワンワン!”