旅の冊子 めがねっこ
◇「聖書と法華経の旅する物語1」第8章には聖書と日本昔話について簡単に述べています。
15.かぐや姫:イエスの往還物語を新しい知見が得られたので書き直します。書籍化はまだしないほうがいいのではと思います。この前も加筆したし、まだ出てくるような気がする。
15.かぐや姫:イエスの父という光への往還物語(新約聖書)
よく分からないのが、なぜに竹取物語の“竹”なのか、日本昔話では、なぜにおじいさんとおばあさんが決まりごとのように登場するのか明確にはっきりしません。
なぜに竹取物語の“竹”ということについての解答は、竹かごとは、イエスのわき腹・胸間をイメージできます。これは明確に絵が見えます。ヨハネによる福音書19章:34には「兵士たちの一人が槍でわき腹を突いた」と述べています。
“竹”はおじいさんが竹を取って、加工・細工して竹かごを作って生計を立てていました。それと、かごは囲むという意味が含まれています。かご、すなわちイエスのうちに「血と水」があり出て来た、竹かごとは活ける水の泉としてのイエスを表しています。竹かごがないと霊を渡すことができないのです。そしてイエスは“成し遂げられた”と言って、頭を傾けて息を引き取りました。
日本昔話には決まりごとのように、むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでいましたと語りがあります。そしてこのふたりには子どもが有りませんでしたともよく聞きます。なぜなのか。これは、創世記17章及び18章に登場する、アブラハムとサラに由来するようです。アブラハムは100歳、サラは90歳であり、夜の楽しみも月の習いもとうになくなったふたりに、神がイサクという男児を与えようと約束をします。有名な日本昔話は室町時代に民話として生まれ伝承されたそうです。フランシスコ・ザビエルが来日するより2百年も前に聖書に精通した人々が住んでいたような気がします。
竹取物語のかぐや姫の「かぐや」について説明したいと考えます。ヘブライ語において、「カゴー」とは、囲む、護衛するという意味があります。動詞です。そして、「カゴ、カグ」とは、囲まれた、守護されたという意味があるそうです。満月の夜に、月からかぐや姫を連れ戻すために使者がやって来ました。帝(みかど)から派遣された大勢の兵士が、かぐや姫の屋敷を護衛するために囲みましたが、かぐや姫はおじいさんとおばあさんに別れの挨拶をして月に帰って行きました。
♪日本のわらべうた
かごめかごめ
(かごめとはイエス自身または彼のわき腹です。)
籠の中の鳥は
いついつ出やる
(鳥とはイエスから与えられる“霊”をいう。それがいつ出るかと待ち望んでいる。)
夜明けの晩に
(マルコによる福音書15章:33において、第六刻になると闇が全地を襲い、第九刻におよんだとあります。夜明けの晩はここを表現していると思います。歌詞の内容が福音書を読みながらイエスの最期を描写しています。)
鶴と亀が滑った
(不吉な予兆を述べているようですが、鶴のくちばしと亀の頭が槍の先を表しているように感じます。)
後ろの正面だあれ
(後ろは十字架です。その正面はイエス・キリストです。)
「わたしは父の所に還るが、あなた方はそこに来ることができない」と語っていたイエスであるが、父のもとに還って行ったという絵が、月の運行のようにゆっくりと後ろの正面から浮かんで見えるようです。