アーモンドは葉芽、花芽がなくても元気に生きて生育しているならそれで十分です。

 

「ヨハネによる福音書」19章33-35

イエスのところに来てみると、すでに死んでいるのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、兵士たちの一人がその槍でわき腹を突いた。すると、すぐ血と水が出て来た。目撃した人が証しして来た。彼の証しは本物である。

 ♪「いちご白書」をもう一度のいちごとは血であり、白書は水に当たります。

 ♪「いちご白書」をもう一度は、二十歳頃からよくカラオケで歌っていたのを思い出します。「福音書」の内容を含んでいたとは今日知りました。

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 歌の歌詞を引いて、ざっくばらんに述べてみよう。「破れかけたポスター」とはポスターは紙であり、紙(神)です。傷つけられた神、イエスを指す。“素直な横顔が今も恋しい”とは、この横顔は「駅-竹内まりや」でも“うつむく横顔 見ていたら 思わず涙 あふれてきそう”と歌っています。十字架上のイエスの横顔をいっていると私は信仰を持つ。「なごり雪-イルカ」でも、“汽車を待つ君の横で”とか、“動き始めた 汽車の窓に顔をつけて”など、私にはイエスの横顔が薄らぼんやりと映って見える。

 ♪「いちご白書」の2番目の歌詞:

 “髪を伸ばして”とは、神であるイエスがはりつけになって手を伸ばしている箇所に映って見えます。学生集会とは、一連のユダヤ人たちとの言い争いを指す。学生時代のクラスメイトであった彼女に、髪を切ってきたときに言い訳をしますが、髪(神、イエス)を兵士が槍でわき腹を刺す行為のように見えます。

 そうなのかと自分でも感心しています。「いちご白書」とはイエスの血と水です。自分をほめているわけではありませんが、他人事のようにすごいなあと今更ながら思います。