訓読法華経二十八品の多宝如来・多宝仏・多宝仏塔が、どのように経典の中で表現されているか読んでいると新しい記事、新しい絵が浮かんで見えてくる。一つの語句が多くの意義を持ち合わせるというのは、国語辞典や英和辞典を開いてみても明らかです。それはこの「白いハスのような正しい教えを説いた聖典」(訓読法華経)もそうです。宝塔の中で半座を分かち合う釈迦如来と多宝如来が、十字架で両手を広げているイエス・キリストの左右の手に見えてしかたがない。空中にある七宝で造られた宝塔は十字架であるというのは、以前から言ってました。

 この二人のブッダが並んで登場する文章を読んでいる。多くの福徳を受けているんだとそのページを注視する人のこころは、入れ物がよりふくらんでいくような気がする。

 

 

(ローマ人への手紙)

1 さて、親愛なる兄弟姉妹たち、あなたがたは律法に精通していますか。あなたがたは律法が人の生きている間にのみ適用されることを知らないのですか。

2 例えば、女性が結婚するとき、彼が生きている限り、律法は彼女を彼女の夫に拘束します。しかし彼が死んだ場合、結婚の律法はもはや彼女には適用されません。

3 それで、彼女の夫が生きている間に、彼女が他の男性と結婚したならば、彼女は不倫を犯しているでしょう。しかし、彼女の夫が死んだ場合、彼女はその律法から解放され、彼女が再婚したときに姦通をしません。

4 それで、私の愛する兄弟姉妹、これが要点です。あなたがたはキリストと共に死んだとき、あなたがたは律法の力のために死んだのです。そして今、あなたがたは死者から育った人と団結しています。その結果、私たちは神のために善い行いをすることができます。

5 私たちが私たちの古い性質に支配されていたとき、罪深い欲求が私たちの内で働いていました。

6 しかし、今や私たちは律法から解放されました。私たちはそれに死んで、もはやその力に囚われていないからです。今や私たちは、律法の文字に従うという古いやり方ではなく、霊に生きる新しいやり方で、神に仕えることができます。

7 それでは、私は神の律法が罪深いことを示唆しているのでしょうか。もちろん違います。実際、私の罪を示したのは律法でした。律法が「あなたがたは欲望してはならない」と言っていなければ、私は欲望が間違っていることを知ったことはなかったでしょう。

8 しかし、罪は私の内のあらゆる種類の欲望を喚起するためにこの命令を用いました。律法がなければ、罪はその力を持たないでしょう。

9 かつて私は律法を理解せずに住んでいました。しかし、例えば私が欲望しないという命令を学んだとき、罪の力が命を吹き込まれました。

10 そして私は死んだ。それで私は、命をもたらすことになっていた律法の命令が代わりに精神的な死をもたらしたことを発見しました。

11 罪はそれらの命令を利用して私をだました。それは私を殺すために命令を使いました。

12 それでもなお、律法それ自体は聖なるものであり、その命令は聖なるものであり、正しく、善いものです。

13 しかしそれはどうすればよいのでしょうか。善い律法は私の死を引き起こしましたか。もちろん違います。罪は私の死への非難を引き起こすのに良いものを使いました。それで、私たちは本当に罪がどれほどひどいのかを見ることができます。それはそれ自身の悪の目的のために神の良い命令を使います。

14 それで、問題は律法によらない。なぜならそれは霊的で善だからである。問題は私と一緒にいるのです。私は人間的すぎる罪の奴隷だからです。

15 正しいことをしたいのですが、理解していません。代わりに、私は嫌いなことをします。

16 しかし、自分のしていることが間違っているということを知っていれば、これは私がその律法が良いことに同意していることを示しています。

17 それで私は間違っている人ではない。それは私の中に住んでいる罪です。

18 そして、私の中には良い人生、つまり私の罪深い性質の中に何も善い生活がないことを私は知っています。正しいことをやりたいのですが、できません。

19 善いことをやりたいのですが、しません。私は間違ったことをしたくはありませんが、私はとにかくそれをします。

20 しかし、自分がやりたくないことをしても、私は本当に間違ったことをしているのではありません。それは私の中に住んでいる罪です。

21 私はこの命の原則を発見しました。正しいことをやりたいとき、必然的に間違ったことをします。

22 私は心から神の律法を愛する。

23 しかし、私の心の中には葛藤中の支配力があります。(葛藤とは、からみあったカズラやフジの意。様々な引き合う心理状態が、表面に出ようとしてせめぎ合うこと。)この力は私をまだ私の中にある罪の捕虜にします。

24 ああ、なんて惨めな人なのでしょう。罪と死によって支配されているこの人生から私を解放するのは誰ですか。

25 神に感謝する。答えは主イエス・キリストの中にあります。私の心の中で私は本当に神の律法に従いたいのですが、私の罪深い性質(肉と表している書もある。英語では"my human nature serves the law of sin"と表しています。)のために私は罪の奴隷です。

(ローマ人への手紙)

1 それで今、キリスト・イエスに属する人々に対する非難はありません。

2 あなたがたが彼のものであるので、命を与えるthe Spiritの力はあなたがたを死に導く罪の力から解放しました。

3 モーセの律法は私たちの罪深い性質の弱さのために私たちを救うことができませんでした。それで神は律法ではできないことをしました。彼は私たちの罪人が持っている体のような形の中に自分の息子を送りました。そしてその体の中で、神は私たちの罪の犠牲として彼の御子を与えることによって私たちに対する罪の支配の終わりを宣言されました。

4 私たちのために律法の正当な要求が完全に満たされるように、彼はこれを行いました。

5 罪深い性質(肉と表現している書もあります。)に支配されている人々は罪深いものについて考えますが、神のスピリッツに支配されている人々は神のスピリッツを喜ばせるものについて考えます。

6 それで、あなたがたの罪深い性質があなたがたの心をコントロールするようにすることは、死につながります。しかし、神のスピリッツにあなたがたの心をコントロールさせることは、生命と平和につながります。

7 罪深い性質は常に神に敵対するからです。それは決して神の律法に従いませんでした。そしてそれは従うことを決してしません。

8 だからこそ、まだ彼らの罪深い性質の支配下にある人々は決して神を喜ばせることができないのです。

9 しかし、あなたがたはあなたがたの罪深い性質によって支配されていません。あなたがたが神のスピリッツとあなたがたの内に住んでいるなら、あなたがたはその神のスピリッツによって支配されています。そして、その中にキリストのスピリッツが住んでいない人々は、彼のものではないということを忘れないでください。

10 キリストはあなたがたの内に住んでいるなら、あなたがたの体は罪のために死ぬであろうが、あなたがたを神が正しく造られたのだから、キリストのスピリッツはあなたがたに命を与えるであろう。

11 イエスを死からよみがえらせた神のスピリッツがあなたがたの内に住んでいます。そして、神がイエス・キリストを死からよみがえらせたように、あなたがたの内に住んでいるのと同じこの神のスピリッツによってあなたがたの死ぬはずの体に命を与えます。

12 それゆえ、兄弟姉妹の皆さん、あなたがたは自分の罪深い性質があなたがたに促すことをする義務を負うものではありません。

13 あなたがたがその指示に従って生きるならば、あなたがたは死ぬでしょう。しかし、あなたがたが神のスピリッツの力によって、あなたがたが罪深い性質の行いを死に至らしめたならば、あなたがたは生きるでしょう。

14 神のスピリッツによって導かれる者は皆、神の子である。

15 それであなたがたは、あなたがたが恐れる奴隷にするようなスピリッツを受けていません。代わりに、あなたがたは彼が自分の子どもとしてあなたがたを受け入れたとき、神のスピリッツを受けて、今、私たちは神に向かって、「父よ、私の父よ」と呼びます。

16 この神のスピリッツは私たちのスピリッツとつながり、私たちは神の子どもであることを確認するからです。

17 私たちは彼の子どもであるので、私たちは彼の相続人です。事実、キリストと共に私たちは神の栄光の相続人です。しかし、私たちが彼の栄光を分かち合うのであれば、彼の苦しみも分かち合わなければなりません。

18 しかし、今私たちが苦しんでいるのは、彼が後で私たちに明らかにする栄光と比較しても何もありません。

19 すべての被造物は、神が彼の子どもたちが本当に誰であるかを明らかにするその未来の日を切望して待っています。

20 その意志に反して、すべての被造物は神の呪いの対象となりました。しかも切望してのことでありました。

21 創造は、死と腐敗からの見事な自由の中で神の子どもたちに加わる日を楽しみにしています。

22 私たちは、現在までのところ、すべての被造物が出産の苦痛のようにうめき声を上げてきたことを知っています。

23 しかし、それは単に創造だけではありません。 私たちが神を私たちの子どもにして私たちの全体を自由にするのを待つように、神の賜物の最初のものとしてスピリッツを持っている私たちも私たちの内にうめき声をあげています。

24 私たちが救われたとき、私たちはこの希望を与えられました。すでに何かがあるのなら、それを期待する必要はありません。

25 しかし、まだ持っていないことを楽しみにしているのなら、辛抱強くそして自信を持って待たなければなりません。

26 そして神のスピリッツは私たちの弱さを助けてくれます。例えば、私たちは、神が私たちに祈ってほしいと望んでいることを知りません。しかし、神のスピリッツは言葉で表せないうめきの言葉で私たちに祈ります。

27 そして、すべての心を知っている父は、スピリッツが語っていることを知っています。

28 そして、神は、神を愛し、彼らのために彼の目的に従って呼ばれる人々のためにすべてが一緒に働くことを引き起こすことを知っています。

29 神は自分の民を前もって知っていたので、彼の子が多くの兄弟姉妹の中で長子となるように彼らを自分の子のようになることを選んだ。

30 そして彼らを選んで、彼は彼らを彼のところに来るように呼んだ。そして彼らに伝言をしたので、彼は彼らに自分自身で正しい地位を与えました。そして彼らに正しい立場を与えたので、彼は彼らに彼の栄光を与えました。

31 このような素晴らしいことについて、私たちは何を言うでしょうか。神が私たちのためにあるなら、誰が私たちに反対することができますか。

32 彼は自分の子でさえ惜しまなかったが、私たち全員のために彼をあきらめたので、彼はまた私たちに他のすべてのものをあげるのではないか。

33 神が自分のために選ばれた者を誰があえて告発しますか。誰も神ご自身が私たちに自分自身を正しく立たせたのではありません。

34 誰が私たちを非難するのでしょうか。キリスト・イエスは私たちのために死なれ、私たちのために復活させられました。そして彼は私たちのために訴えて、神の右手で名誉の場所に座っています。

35 私たちをキリストの愛から隔てるものはありますか。それは、私たちがトラブルや災難を抱えていたり、迫害されたり、空腹であったり、貧困にあったり、あるいは危険にさらされたり、あるいは脅かされたりしても、もう彼を愛していないということですか。

36 聖書が言っているように、「あなたのために私たちは毎日殺されています。私たちは羊のように殺されています。」

 (詩篇44:23には、「真実、あなたのために日々私たちは殺され、屠殺の羊のようにみなされている」と述べられています。)

37 いや、これらのことすべてにも関わらず、圧倒的な勝利は私たちを愛したキリストを通しての私たちのものです。

38 私たちは彼の愛から私たちを引き離すものは何もないと確信しています。死も生命も、天使も他の天国の支配者もしくは権力者も、現在も未来もありません。

39 世界の上にいるものも世界の下にいるものも、すべての創造物の内において、私たちの主キリスト・イエスを通して、私たちのものである神の愛から私たちを切り離すことができないのです。