輸血を拒否するようだれにも強制していない とする「エホバの証人」日本支部のコメント

輸血を拒否するようだれかに強制することはありません


聖書の教えに従うように勧めることと強制することとは全く異なります


エホバの証人は輸血やその他の治療法を受け入れるかどうかは


各人の個人的な決定であると考えており

強制されたり圧力を受けたりして決めることではない


子供自身が自己決定をするこができないため親が子供の代わりに医療上の決定をする必要がある


その場合親は自分の信念に従って決定をします


医療上の選択を自由に行いたいと考えているなら


その人はエホバの証人の宗教信条を受け入れていないので


エホバの証人になることはできませんし

自分個人の決定と行動により


エホバの証人を辞めるという意思を示すことも可能です


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えーと、


これって「強制はしていない」と主張しても間接的また精神的に強制はしているのではないでしょうか?



堂々と「強制はしていない」と胸を張って言えるようなものなのでしょうか?



自分の行動でエホバの証人を辞める意志を示したのだから

「エホバの証人ではなくなりました」と発表される、つまり集団忌避の号令を出されるのは当然ですか?




ではこちらと比べてください。


エホバの証人が何について不当だと主張したのかを


(こちらを参考、引用させていただきます リンク切れてますが)https://www.soka.ac.jp/files/ja/20170525_112925.pdf

Thomas v. Review Board of Indiana Employment Security Division.29

【事件の概要】 トーマス事件は、「エホバの証人」の会員であるトーマスが自己の勤務していた金属会社によって、

何の話合いの機会もなく軍事用の戦車の部品製造工場へ配置転換させられたことに端を発する。同じ「エホバの証人」の会員であり会社の同僚でもある友人から戦車の製造は教義を破るものではないと

いう助言を受けたけれども、自分の信仰する宗教はそういう工場で働くことを許さないと信ずるとし て退職した。このように職務と関係のない理由で自発的に退職した者には州法で失業保険を受けられ ないことになっていたため、トーマスが出訴した。

【判決】

州最高裁は、()彼の信念は宗教的な信念というよりも「個人的なものの考え方に基づ く選択」である、()彼の宗教的な信念に課せられる負担は「間接的」にすぎない、(宗教的な理由によって自発的に退職した者にのみ利益を与えることは政教分離条項に反することになる、という3つの理由から、宗教の自由な活動条項(狭義の信教の自由)を侵害しないと判示したが、 

連邦最高裁は信教の自由を侵すものとして原判決を破棄した。

その際、法廷意見は、1当事者が自己の行為に関する信念または動機が宗教的なものであるという 請求を誠意をもって主張し、かつ、その信念が宗教的なものと呼ぶこともできるものである限り、当 該個人の主張を認めなければならないという立場を採った。そして「宗教の自由な行使の保障はあ る宗派に属する全てが抱懐する信念に限定されない30......裁判所は聖書の解釈について調停者では ない」と述べ、問題は当該個人にとって「宗教的」かどうかであること、したがって、2ある規制( の行為)によって課せられる負担が信教の自由活動条項に触れるか否かも、その負担が直接的なもの であるか間接的なものであるかにかかわりなく、当該個人に実質的な負担を課することになるか否か によって判断すべきであることを明らかにした。


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つまり、戦車の製造に関わるのは自分の信仰に反するとして退職した人に失業保険を出してあげないという決定は信教の自由を侵害する強制的なものとされ違法だと判断されたという事かな?と思います。


「戦車の部品製造せよ!」とかって会社が信教の自由を侵害してきて辞めざるを得なかったのに、


勝手に自己選択で辞めたんだからとして失業保険を出してくれないのはおかしい!


との主張ですよね。



ある人達の感覚では、確かに「そんな自分勝手な決定で失業保険が貰えないことを不服とするのか⁈」という感覚でしかないでしょうが、エホバの証人はこの時は自分達の権利を勝ち取ったんですよね⁈




だったら、ですよ、

例えばです、

ある信者がこんな選択をした場面を想像してみてください。


エホバの証人には忌避制度があるので

その信者は忌避が怖くて子供の輸血同意書へのサインを一瞬躊躇してしまいました。


医師は「輸血も必要となるだろう」と言っています。


でも、そのような医療上の選択をするならエホバの証人の宗教信条を受け入れていないとされエホバの証人を辞めるという意思を示したことにされてしまう。


つまり忌避の対象とされてしまう。


信者である親、兄弟、親族などとの関係までも破壊され、もう口をきくことも出来ないかもしれない。


でも、やっぱりこんなのはおかしいのではないか。


子供を見殺しになど出来ない!



・・・という事で輸血に同意し、それが知られて忌避対象者にされた。



とします。



これって、その本人は強制的なものを感じてはいませんか?


忌避対象になって当然ですか?


悪行者扱いされて当然ですか?





だったら・・・



この人が輸血同意書にサインする前にこんな要求を組織側にしたらどうですか?



「決定の責任を受け入れ宗教団体の成員ではなくなることには同意します。でも共同絶交の制裁を受けるのには納得いきません。それで制裁を受けることなく辞めさせて欲しい。それでバプテスマは無効になったと発表して欲しい」と。



組織にとどまりたい訳ではないのです。

人間関係が破壊されるのは不当ではないかと問うているのです。


ではこの人の要求は不当なものでしょうか?







勝手に自己都合で会社を辞めたのだから失業保険は貰えなくて当然

勝手にエホバの証人の宗教信条を受け入れていないことを示す決定をしたのだから断絶扱いされて忌避対象とされても当然



何だか似ていませんか?

と言うより忌避のほうがどう考えてもひどいハナシですよね?




エホバの証人の皆さん。


エホバの証人が「失業保険くれ!」って「世」に要求したことと、信者が「輸血もやむなし」と決定した時の仕打ち・・・

それってバランス取れてますか?



教えて欲しいなぁ





エホバの証人の忌避と輸血の問題 

https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12300252814.html