ものみの塔聖書冊子協会奉仕部門
広報 篠原祐一郎様


兵庫県川西市花屋敷会衆 佐藤禎士
兵庫県神戸市甲南山手会衆 西村信一


2022年11月21日アメブロ
2022年11月27日郵送


「広報である貴殿即ちものみの塔協会の発言に対する厳重な抗議文」


エホバの証人3世の夏野なな(仮)さんが、国会にエホバの証人2世3世の苦悩や現状を伝えに行かれたことに対する、毎日新聞社の取材に協会広報は下記の通り回答されました。


「教え強制していない」


 エホバの証人の広報担当者は毎日新聞の取材に「聖書の教えに基づき、子どもは愛情をもって育てるように伝えている。方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」と話した。また、行事への参加の禁止については「異教徒の習慣に基づく祝日は参加しないように聖書が教えている。ただ、決めるのは個人で、特定の祝日に左右されない形で楽しい時間を過ごすようにしている」と話している。(高良駿輔)

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この回答について私達は厳重に抗議し、全てにおいて嘘偽りと申し上げます。まず、回答一文一文に対して反論いたします。


「聖書の教えに基づき、子どもは愛情をもって育てるように伝えている。方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。」


教え方育て方は全てものみの塔聖書冊子協会が決めて来ました。


申命記6:20.
将来,あなたの子が,『私たちの神エホバがこれらの教えと規定と法規を与えたのはどうしてですか』と尋ねる時, 

これに関連・類した聖書の言葉をかざし、エホバの精神と規整とをもって子を育てるようにと協会は教えて来ました。


その教育の根幹を成すのは「鞭」即ち体罰であります。にもかかわらず

「体罰をしていた親がいたとすれば大変残念だ」

はあんまりだと思います。

残念はこちらの台詞であり、あまりにも事実を隠蔽しようとしすぎです。


また「…親がいたとすれば」という発言はあまりにも白々しいものです。


鞭教育は70.80.90年代ずっとエホバの証人の王国会館でなされて来ました。実際に親から集会中叩かれたエホバの証人2世は多数いますし、
母親が鬼の形相でトイレや別室に連れて行き、激しく叩く音と異質な子供の鳴き声は
「エホバの証人なら誰でも知っている事」です。もちろん長老も知っています。


「体罰がしていた親がいたとしたら」は嘘に決まっています。

それに「残念」と篠原祐一郎兄弟がその見識であれば、気づいた長老は鞭した親を止めに入ります。ではないでしょうか?


協会の皆さんは集会の変化や状況に機敏に気付かれます。例えば
「各成員が他会衆に交わる際、クリスチャン愛をことづかる事(ほぼ儀礼的な拍手)・訪問講演者が集会後に経験を述べる事が習慣化しているようです。」など、2006年にこのような手紙を長老団に送り、その習慣を無くしましたが、鞭に関してもそのように出来なかったのですか?繰り返しますが

「体罰をしていた親がいたなら残念です」などと言うならばです。


上述のような細かな慣例にめざとくやめさせて来るのに、長年に渡る「組織の主要な教育方法鞭」を気づいてないわけがありません。


「教えを強制することもしていない」

この発言には怒りを通り越して呆れました。


ものみの塔聖書冊子協会は数千あると言われる規則で縛り上げてきました。
教えを強制していないと言いながら
「神の羊の群れを牧しなさい。」長老の教科書は、強制された教えから逸脱した羊(成員)をどう裁くか(ほぼどう排斥するか)に特化しているのですから、教えを強制していないわけがありません。

また
大学進学の否定、職業の否定、職場内での昇進残業転勤出稼ぎの否定。
若い男女に婚前交渉はおろかデートや自慰も禁じる。性的な空想にふけることも禁じる。ゆえにあらゆるポルノや恋愛漫画も禁止。


それを守れなかった人を無理矢理呼び出して長老が性行為について根掘り葉掘り聞いて排斥にするといった組織の明確な傾向があるにも拘らず、良くも「教えを強制していない」と言えたものです。


次の、篠原祐一郎様の発言も呆れ果てました。

『行事への参加の禁止については「異教徒の習慣に基づく祝日は参加しないように聖書が教えている。ただ、決めるのは個人で、特定の祝日に左右されない形で楽しい時間を過ごすようにしている」』

この組織のどのあたりが「祝祭日の参加を個人に決めさせているのですか?」

お正月。あけましておめでとうございますと言われたら「ありがとうございます」とだけ言えと組織は教えて来ました。もちろんお正月禁止。


バレンタインデー。人にチョコを上げる事も禁じ、もらったら捨てさせて来ました。お返しのホワイトデーもしかり。


ひな祭り、端午の節句とんでもない。


クリスマスなど、異教の教えと繰り返し禁じ、祝う事参加することもダメでした。


いわゆる世のお葬式でも、受付をしても咎められる。


単なる訓戒のみならず、組織内有資格者は剥奪。排斥も充分あります。
(立場身分が高すぎる人は、看過されたり、隠蔽するケースはありますが)


繰り返しますがどのあたりが、祝祭日は個人の決定なんでしょうか?呆れてものが言えません。


このように、ものみの塔聖書冊子協会広報 篠原祐一郎様が述べたことは、組織外の方にはそんな回答をしてはぐらかしても、信者・元信者の私達特に二世をはぐらかし、欺けるわけがありません。


ここからは、こうした「全部嘘」を述べた広報篠原祐一郎様と、ものみの塔聖書冊子協会日本支部全体に抗議します。


1.「体罰をしていた親がいたなら残念だ」
「教えを強制していない」
「祝祭日は個人の決定」
という3つの大きなかつ、故意の嘘は、皆様が信者に容易く発動する
「排斥行為」です。

真の悔い改めは過去の間違いを素直に認めることから始まりますよね。隠蔽やごまかしはいけません。

*** 塔78 2/15 21–26ページ真の悔い改め ― それはどのように見分けられるか ***
神とみ子が優れた特質をお持ちであるゆえにおふたりを心から愛し尊敬しているなら,わたしたちはおふたりのわたしたちに対する信頼を裏切って,おふたりに似ても似つかない行ないをしたことを深く恥じまた悲しむのではないでしょうか。こうした考えは真の悔い改めと一致しています。


皆様は「ものみの塔聖書冊子協会が子供を教育する主要な道具・方法である鞭」を、現代とくにこの情勢で認めたらあまりに都合が悪いからとは言えその事実を隠し、もちろん悔い改めの兆候もありません。

「嘘も方便はエホバの神権的戦術」と揶揄されても皆様の体質は治りません。で、あるならばやはり排斥ではありませんか?


2.「体罰をしていた親がいたなら残念だ」の発言があまりにも残念すぎる、
「ものみの塔聖書冊子協会主導の鞭教唆」
出版物スクリーンショットの数々。


写真展が開けるくらいあります。
まさか「昔の出版物はサタンが書いていた」とか言いそうなくらい「呼吸のような嘘」を吐く皆様です。これら鞭教唆の証拠をどう説明なさいますか?







塔63年 11月15日 68p.8節
しっかりとこらしめるために
むちで痛みを加える必要があります。








目79年 8月8日 28-29
おしりを叩くことは、時折与えられる懲らしめのひとつの方法

愛ある懲らしめには、親がおしりを叩くことも含まれます





目74年 10月22日 15p
しりをぴしぴしとたたくことを
含め、自分の子どもを正すために
親がなんでも手を尽くすことは





塔82年 10月15日 9p
懲らしめは、たとえお尻をたたくことが含まれていても、親の愛の現れです





幸福の本 9章 86-95p

しかし神の言葉は,場合によっては体罰が、例えばおしりを叩くといったことが、必要であることを述べています…おしりを叩くのが1番効き目があるかもしれません…





目2013年 3月 5-6p

愛情を表す…必要であればおしりを叩いたりします。




こうした皆様ものみの塔聖書冊子協会の出版物が、「組織主導のもと鞭体罰が行われていたのは明確であり、
体罰をしていた親がいたら残念です。」という発言が如何に嘘であるかはっきりいたしました。

3.こうした出版物を容易く削除したり、都合の悪い文言は絶対に取り去らないでください。

そんなことをしたら皆様が頑として主張を変えない「天からの霊的食物の供給、唯一の経路」の看板が倒れ、ただの「統治体ブログ」になります。

4.「回答は控えさせていただきます」も不誠実な責任逃れですが、毎回広報が発言する度に炎上します。

グアテマラで、茅ヶ崎市の姉妹が殺害された際の広報コメント「自発的に行かれました。こちらは把握していません」も相当ひどいものでしたが、今回の広報コメントは斜め上を行きました。鞭教唆を認めないんじゃないかは予想出来ましたが、「教えを強制していない」「祝祭日の参加は個人の決定」はあまりにも嘘すぎて本当に呆れました。落胆している二世多数です。