私が以前にディアマンテさんの会衆の長老団に送った手紙をご紹介します。



バプテスマ無効請求で回答を求めていましたが、協会も地元会衆も巡回監督も一切返事も寄越さずでしたので、約束通りに好きにこの組織の問題点を指摘する活動をさせていただいています。その結果、この手紙は今では1200ほどの会衆に送付済みとなっています。

(協力者の皆様ありがとうございます!)



会衆リストは近々公開するかもしれません。




花屋敷会衆長老冤罪削除についての感想

                      西村信一    



川西市花屋敷会衆長老殿



「肩を並べてエホバ神にお仕えする兄弟関係」「上下関係などない」     こうした部分こそがエホバの証人の魅力だと思っていました。


しかし実際にはエホバの証人の社会は超縦型社会であり、権力を示しあったり、権力には逆らえない場所に過ぎないことが明らかではないでしょうか?



「長いものには巻かれる」という態度の方々しか上手くその中ではやって行けないんですね。それはレビ記1915節の「あなたは立場の低い者に不公平な扱いをしてはならない。大いなる者を優遇してもならない。」との言葉に反していますし魅力は全然ないですね。



全国的に有名な事件、「花屋敷会衆冤罪削除事件」も私にそうした現実をまざまざと見せつけたものの代表的な一つとなりました。


特に長老同士であっても権力差や派閥、人同士の癒着のようなものがあったからこそ、手順も無視の言いがかり特権削除が成り立ってしまってたんですよね?



Dさんは見るからに低姿勢な方ですが、事件に関わった3人の長老のみなさんは、何が気に食わなかったのかは知りませんが、「コイツなら何でも言いくるめて言い負かせることが出来る」と思ったのではありませんか?


しかし「人を呪わば穴二つ」ってことわざ通りではないでしょうか?人を陥れようとするなら自分も・・・ですよね。「あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになる」という言葉通りですよね。



Dさんは骨のある方ですよね。失敗しましたね。理由も手順も正当なものだったと主張できるのなら今からでもちゃんと主張して頂きたいくらいです。公表させて頂きますから。


長老が全員揃わない状態で、なおかつDさんを離席させずいきなり削除通告したそうですが、それはつまり最初から、話を聞く前から3人で削除を決めておられたということですよね。それは申命記19:18の「裁き人たちは徹底的に調べなければならない。」という言葉とは正反対の態度ではありませんか?また長老の教科書の手順とも違いますよね?



巡回監督が来ても事を正すわけでもない、数的優位な側に付く。長い者に巻かれる。それは本当に正当な裁きだったからでしょうか?巡回監督ともあろう方が手順を知らなかったと言えるのでしょうか?例えば自分に良くしてくれた人の肩を持ったとかではないのでしょうか?この人に付いて行ったほうが損か得かで判断されたのではないでしょうか?


背後関係などの徹底的な調査がなされた上での対応なんでしょうか?


当時の巡回監督にも「公正を行なった」とエホバ神に掛けて本当に誓えるのかを尋ねてみたいものです。



事件後の地区大会では本山会衆と花屋敷会衆は神戸ワールド記念ホールで同じ会場でしたが、事件を知っていた2015年のその地区大会で花屋敷会衆のメンバーがプログラムに大量投入されてるのを見た時はイメージ操作にしか見えず、はっきりいって組織ぐるみの隠蔽としか見えなかったので非常にがっかりしました。


数名の方々も同じ事を言っていましたので、そう感じたのは私だけではないはずです。



綺麗なイメージだけを求めて裏ではドロドロした事件を隠してるって、そりゃあ誰が呼んだのかは知らないですが「お化け屋敷会衆」「◯ミ屋敷会衆」とか呼ばれるのも納得です。


まさしく「白く塗った墓」という言葉がぴったりですね。花屋敷会衆といえば、結構多くの兄弟姉妹が「あー、あの花屋敷会衆!?」っていうくらい全国的に有名になっているのは皆さんご存知なんでしょうか?



そりゃあ、会衆単位での何かの間違いでつらい目に遭ってしまう人がいることだって有り得るでしょう。人は「不完全」ですから。


でも、巡回監督が間に入っても事は正されない、組織ぐるみのイメージ操作で被害者のほうを切り捨てる、一向に事を正そうともしない、こんな場所が神の霊によって導かれている組織などとはとてもじゃないですが思えません。



また、聞く話によると裁判の際には弁護士長老まで用いられてDさんのことを「ストーカー」呼ばわりもしていたそうですね。お前さえ悪者になれば丸く収まるんだよって態度がみえみえですよね?

そんなのイジメでしかありませんよね?


そりゃあ丸く収まるどころか思いっきり怨みが残って当然ではないでしょうか?



もしDさんが当時ストーカーを働いたと仮定しても、当時の長老達は警察に通報したのですか?ストーカーなどとは最初から言っていた話ではなく、裁判になったから論議を強め、削除の正当性を主張する為だけですよね?そんなのは「偽り」としか言えません。



そんなひどい事を長老弁護士に言わせたのは誰の指示ですか?それともその長老弁護士が勝手に後付けしたのですか?また、もしDさんがストーカー行為を行なっていたのであれば、削除のみならず、その時審理委員会を開かなければいけなかったはずですよね?されましたか?警察にも届け出ずに宗教組織内だけで裁き、後々裁判になったからDさんをストーカー、性犯罪者扱いしているんですよね?そうした物事の扱いをするのは長老とか以前に人として信じられない行為なのですがどう思われますか?


しかも、成員として籍は置いておいて「私たちはD兄弟を気遣っています」みたいに見せかけるなんて、ただ虫が良いだけですよね。



私やDさんがこうした意見を述べると、指導の任に当たる方々は総じて「エホバを待ちなさい」と言われますよね。


では、エホバを待っていたら事は正される、公正はなされると主張できるのでしょうか?我慢が足りないといえるんでしょうか?みなさんは花屋敷会衆冤罪削除事件をなかったことにしようと躍起になってませんか?被害に遭ったご本人は生きておられますし友人もたくさんおられるようですよ。なかった事に出来るどころかこの話は広まる一方です。お三方は反省のない態度を続けることよって「あの有名な花屋敷会衆の長老」と生涯言われ続ける事になるかもしれませんね。



人を精神的に病ませ、自殺寸前の所まで追い詰めたにもかかわらず、それらの長老たちがその立場にいまだに留まっているのが「エホバの方法」なのかと聞いてみたいです。


反省どころか正当化して表面を取り繕うことしか出来ないのでしょうか?

「小さな者の一人をつまずかせるのがだれであっても,臼石を首にかけられて海に投げ込まれてしまったほうが良い」とのキリストの言葉をご存知無いのかと疑問に思ってしまいます。無知とは恐ろしいですね。


少なくとも人の痛みが解らない人が多過ぎる段階でなにが神の組織だと思ってしまうんですがね。

少数の人がたとえ苦しんでいても組織の体面を保てるならそれで良しとするような態度は「一匹の羊を捜すために99匹を残して出かけるように」とのキリストの言葉とは正反対ですね。



「大切な組織の一員」なんて言葉をよく使いますが、ただの使い捨ての駒みたいな扱いにもビックリです。


Dさんは削除前に他の長老の都合を補うために、当日急遽キャンセルが出た代わりで目立った点を果たしたり、学校監督司会、奉仕会2つ、協会からの長い手紙の朗読など、集会2時間ほとんどのプログラムをお一人で扱ったとお聞きしているのですが、その直後に突然削除っていうのも信じられない扱いです。普通は厚く感謝されるべきことではないでしょうか?

使い捨て感が半端ないですし、本来長老としてふさわしくないとその時点でお3方が判断していたのでしたらプログラムを任せるのも相応しくなかったのではありませんか?

自分勝手だと思います。長老の皆さんは訴えたDさんが憎いのかもしれませんが、そうされたのはそれだけのことをしたからではないでしょうか?多くの人は花屋敷について「普通に扱えば、そうは訴えられない。余程ひどい扱いだったんだろうね」と言っていますよ。



Dさんご自身も「あの3人は結論はどうあれとにかく私を優しく扱って欲しかった。今勤めている会社の上司の方々が皆さん紳士的で優しいから余計あの長老達の残酷さが浮き彫りになった。」と仰っておられますよ。



Dさんは、以前の会衆と花屋敷会衆が合併してすぐから、会衆の子供達を中心に集めて、池田のインスタントラーメン館や、亀岡のトロッコ列車に乗せに連れて行かれたりしておられたそうです。

問題の姉妹など誘ってもなかったそうです。トロッコ列車の予定直前に削除通告されたそうですが、精神的にも体調も最悪の中、予約や亀岡までの配車の関係で無理して行かれたそうですよ。


そんな責任感やバイタリティのあるおひとりの長老を皆さんは死ぬ寸前まで追い込んだわけですよね、そんなのはあまりに酷いとしか言いようがありません。


私が同じ扱いを受けたならあまりの酷さに王国会館であっても嘔吐するとおもいます。


もしそれが他の人に対してであっても同じような扱いをしたのかとの疑問も残ります。


もし、それが皆さんの息子さんなら同じ扱いはしなかったのではありませんか?削除するどころか集まりも開かず無罪放免としたのではありませんか?結局依怙贔屓や好き嫌いがまかり通っているとしか言えないのではありませんか?好きな人、大切な人は庇いたいから極力軽く裁き、嫌いな人、疎む人には極力重く裁くのではありませんか?



幾ら「聖書を学んでいる」と宣伝していても「実質において力のない」人達には何の魅力もありません。



明らかに間違ったやり方で削除を実行しておきながら、後にそれを指摘されたら、長老弁護士と示し合わして「私達は間違ってない、Dが悪い」などと主張することは、神の栄光となるどころか神の霊によって導かれている組織なんかではない事を強力に証ししていると思えてしまいます。



全国的にも「皆さんの花屋敷事件」によって神の組織などではないと判断出来た大勢の人がDさんに感謝していますよ。長老が長老に対して冤罪を掛けるような事するのだから録音するしかない、長老を絶対信頼してはいけない、長老は密室ではやりたい放題だと、Dさんはお三方から受けた経験を日本中に教えてくださいました。



長老達の裁きが神や聖霊などに何ら導かれていないという判断基準を日本中に明らかにしてくださったお三方、本当にどうもありがとうございました。



追伸

Y殿は、読みたくない物は封も開けすらしないとDさんから聞いていますので、念の為、これを支部と阪神第七巡回区の巡回監督にも送ります。