マインドコントロールという言葉は責任回避ではなく責任追求のために用いられるようになるだろう、またそうなるべきだ


という点を今回は書きたいと思います。


まずは、「マインドコントロールなんて存在しない」「マインドコントロールは虚構、似非科学である」と主張している

家庭連合(旧 統一教会)の魚谷俊輔氏の記事を引用させていただきます。



はじめての方へ | 「洗脳」「マインドコントロール」の虚構を暴く

http://suotani.com/guide


(引用)

人の心を自由に操るテクニックというような意味での「マインド・コントロール」なるものが実際に存在するのかに関しては、科学的な立証はされておらず、その効果に関しては否定的な研究の方が優勢であるという事実は、日本ではほとんど伝えられていません。

ここでは「マインド・コントロール」に関する過去の文献をできるだけ集め、日本社会で漠然と信じられ恐れられている内容が、実は「虚構」に過ぎないことを暴きます。

(引用終わり)


「マインドコントロール理論」は責任転嫁の理論

http://suotani.com/archives/368


(引用)

地下鉄サリン事件をはじめといたしまして、死者の数が非常に多いですね。この松本智津夫というのがいわゆる麻原彰晃でありまして、死刑が確定しているわけでありますけれども、これまでに合計で13名の幹部たちの死刑が最高裁で確定しているということになります。

実は、この刑事事件の裁判におきまして、「マインドコントロール」ということが大きな論点になったわけです。それはどういうことであるかと言うと、遠藤誠一、横山真人、井上嘉浩ら多くの被告たちが、自分は松本死刑囚(すなわち麻原彰晃)から「マインドコントロール」を施されて、地下鉄サリン事件などを起こしたんだとして、だから無罪にしてくれ、あるいは死刑を回避してくれと主張していたわけです。

その主張をサポートして、助けて、なんとか死刑を逃れさせようと頑張った心理学者が、実は西田公昭ということになります。西田公昭は、井上死刑囚の鑑定書に「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」というコメントを書いて、法廷でも自らの「マインドコントロール理論」を展開して、なんとかこれらのオウムの幹部たちが死刑を免れることができるように、一生懸命頑張ったわけです。

しかし結果はどうであったかというと、全部却下されました。「マインドコントロール下の能力減退は認められない」というのは横山死刑囚の判決の文章でありますが、それと同じような文面で、すべてこれらの主張は退けられて、上告した全被告の死刑が確定したということなんです。


普通、刑事裁判におきまして、明らかに精神病であるとか、あるいは正常な判断力を失っている、いわゆる心神耗弱状態にあるということは、きちっと専門の精神科医が鑑定をして、この人は責任能力がないと分かったら、死刑になりません。しかし、このオウムの幹部たちはそのような厳密な審査の結果、全部責任能力ありと判断されて死刑になったということですね。 

(引用終わり)



マインドコントロールは虚構、似非科学であると主張していますが、その根拠としているのは法廷判断によるものだと思います。


つまり、


マインドコントロールされていたと主張してきた人々はこれまで一切法廷で責任を回避することができて来なかったことをマインドコントロールは虚構、似非科学である証拠だとしているのだと思います。


法廷ではたしかに「マインドコントロール下の能力減退は認められない」とは判断されたようですが、

この判断は「マインドコントロールなどというものは存在しない」と証明するものでも、言いたかったものでもないでしょう。


そのような主張では

「責任を回避させる訳にはいかない」

「自分が犯した罪はその罪に応じて償うべきだ」

「それが法というものだ」

との結論だと思います。



魚谷氏は記事の中で北海道大学の櫻井義秀教授の論文の


 「騙されたと自ら語ることで、マインドコントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。」


という言葉を引用していますし、



アメリカ版の「青春を返せ」裁判の過程で

カリフォルニア州最高裁判所に米国心理学会の有志が提出した法廷助言書の


「マインドコントロール理論」は法的制度の基本的前提と一致しない、


「この主張を受け入れると、これまでの法理学を大きく転覆させる可能性がある概念を導入することになる。ごくまれな例外を除いて、人は自分の行動に対して責任を負うべきであるというのが刑法学と民法学の両者の基本的前提である」


という言葉も引用していますし、



西田公昭教授のこんな言葉も引き合いに出しています。


「それじゃあ、社会心理学者が中心になって考えているこのマインドコントロールに対する説明、考え方をお話したいと思います。まず大前提から入ります。人間を捉える大前提というのは、日本の法律なんかとは相いれない部分を持ってしまっている―というところから入らなければなりません。つまり、特に法律なんかは『人間は理性的で、自由意志というものを持っていて、何でも理性的に行動するんだ』というふうな前提をとられているようですが、私たちの立場では、全然そういう立場はないんですね」


という発言を引用しています。


そして、


これは現行の日本、そして多くの国々の法制度と完全に相容れないものだということになります。


と書いています。


つまり、結局は

マインドコントロールされていたと主張された際に責任回避をさせてしまうことは


法制度とは相容れない と言っているに過ぎないのですから、人は社会心理学的操作などはされない、とか、マインドコントロールなどは存在しないとの証明にはなっていないのではないかと思います。


むしろ、このように「マインドコントロールなど無い」という主張をする理由は

 宗教組織側 に責任などないと言いたいからではないでしょうか。


統一教会は青春を返せ訴訟を抱えていましたし、信者となった人たちの自己責任でなければ困るでしょうから。



 


もちろん、「マインドコントロール」という言葉が表すものが、

自分の頭で判断する能力を完全に失わせるもの

本人の意思を完全に失わせて完全にコントロールできるもの

と定義するとすれば、私もそんなものは存在しないとは思いますが、

マインドコントロールとは、場合によってはかなりの高確率で人をコントロール出来るものだとするなら、それの存在の証明はすでに有ると思います。



権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける:現代版「ミルグラムの実験」で明らかに 

(権威性マインドコントロール手法)

https://wired.jp/2017/05/26/milgram-experiment/


例えばミルグラム実験では権威があると信じ込ませることが出来れば、多くの人に「服従の心理」が働くことが証明されています。

これは自我を完全に失わせてコントロールさせているというより、従うことが「正しいこと」と思わせること、価値観を上書きしてコントロールすることだと思います。


普通の状態なら電気ショックのボタンを押して人を苦しめることは「可哀想なこと」「間違ったこと」と多くの人は判断するでしょうが、


権威者によって、それが「崇高な目的のため」だとされ、指示されたのなら、本心では「可哀想だからやりたくない」とは思っていても、そうする事が正しい事だから「やらなきゃ」となるんだと思います。


つまり「正常な判断力」とは何かが問題になると思います。


判断力がないわけではありません。


しかし、価値観が書き換えられているので、以前なら「間違ったこと」と判断することでも「正しいこと」として判断してしまいます。


権威はその命令(指示や提案)に付加価値を持たせます。主従関係とはそういうものだと思います。


どこの誰だか分からない人が提案してきても、その通りにしたいと思う人はあまりいないでしょうが、権威者や信頼している人に提案されたことには人は従ってしまいやすくなります。


もちろん、人に信頼されているだけでは責任を生じさせることではないと思います。

人から尊敬されること自体も悪い事ではありません。


誰だって自分が尊敬したり信頼している人の提案なら自主的に聞き入れたくもなります。それはその人の責任でしかありません。


しかし、詐欺的手法を用いて信頼を得たり、権威を偽装し、提案や命令に従わせることについては最近では責任追求され始めたのだと思います。


https://youtu.be/uKMjiS2nlb0


福岡県篠栗町で5歳の男児が餓死した事件。(いかり)利恵被告だけでなく、知人の赤堀恵美子被告も保護責任者遺棄致死罪で起訴した。保護者ではない第三者を同罪で立件するのは異例。11カ月間にわたり捜査を続けた福岡県警は、保護者と同等の刑事責任を問うため、碇被告への「支配」の実態解明に力点を置いた。

支配されていたから母親に責任が無いとはされていませんが、さまざまな嘘を用いて信頼を得て、支配していたことが認められたからこそママ友の側へも責任追求されたのでしょう。

つまりは詐欺的手法によってマインドコントロールしていたので、指示した責任を追求されたということではないでしょうか。


本来であれば、そんなママ友とどの程度付き合うかも本人の自由ですし、そのママ友の言葉のとおりに行動するのもしないのも本人の自己責任の問題でしょう。


しかし、詐欺的手法を用いて逆らえないようにして指示を与えるなら、それは指示者にも責任があると認められた例ではないでしょうか。




最後に結論として再び、宗教団体によるマインドコントロールの問題に話を戻します。



何らかの宗教の教えに魅力を感じたり、入信したり、それに従うかどうかは全く各個人の自由ですし、個人の勝手です。


本来であれば各個人が自己責任で行うべきことでしょう。



しかし、詐欺的手法を用いてマインドコントロールし、従わせているならその責任は宗教団体も負わなければならないのではないでしょうか。



福岡県篠栗町での男児の餓死事件でママ友による支配が認められ、ママ友の側にも責任があるとされたように、


私は宗教に関しても、これからは詐欺的手法を用いた支配の事実が認められたのなら、その指示の具体性などにもよりますが、支配していた宗教団体や宗教の上位者側の責任ももっと追求されるようになるよう強く望んでいます。



青春を返せ訴訟から考えるエホバの証人のバプテスマ無効請求ーその②

(マインドコントロールという理由はなるべく出さないほうが良いが・・・)

https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12632866546.html



エホバの証人によるマインドコントロール(最高の権威に偽装していること)

https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12635300506.html



青春を返せ訴訟から考えるエホバの証人のバプテスマ無効請求ーその④

(騙して信者としていること)

https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12636427436.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=2e97298795e44fe7a17d3205f6102ebf




もっといろいろなマインドコントロール手法については詳しくはこちら

偽装勧誘におけるマインド・コントロール

立正大学心理学部教授 日本脱カルト協会(JSCPR)代表理事 西田公昭

https://clnn.org/cln/6463






おもちゃ屋で売っている偽物の真珠を高い値段で買おうとする人はたぶんいない。

しかし、立派そうに見える宝石商を自称する人から「これは非常に価値の高いものです」「今のうちに買ったほうがいいですよ」などとしきりに勧められれば買う確率は一気に上がるだろう。


多くの親は子供を苦しい目になどあわせたくないだろう。体罰などなるべく与えたくなかっただろう。


しかしエホバの証人になった親は子供が宗教的基準で「悪い事」をした際、子供がつらいとは分かっていてもムチした。


これば、そうする事にはその時の子供の苦しみ以上の価値があるから、そうしなければ子供がハルマゲドンで滅ぼされ、永遠の命を得そこなうと組織から教えられたからです。