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認知症ケア 理論と実践のあいだ

認知症について語る
介護施設での十数年間のケアを振り返りながら
認知症の基本的な理解を交えて語っていく

認知症をもつ方が

麻痺や様々な疾患をもった方が

日々の生活に喜びを感じられず

人生の道標を失い

他人の力を借りて生きていかねばならず

自分らしさを失っていく

そんなお年寄りが、生き生きとした表情を見せる

春に芽が息吹くように、溢れるように生命力がわいてくる。

様々な表情や笑い、活動、交流は咲き誇る花々のように彩っていく。

私たち介護に携わる者は何を思い、何を目指して、何のためにケアをするのだろう

介護には

「体力や能力を向上させて、もう一度元気だったころの生活に戻ろう(近づけよう)」

という視点と

「現状を受け止め、上手に付き合っていき、そんな中でも日々に喜びを感じよう」

という視点がある

お年寄りの状態や周囲の環境によって目指すものは違うのだろうし

また、同時に両方を目指していき、「行きつ戻りつ」を繰り返していくのかもしれない。

介護施設は、徐々に専門性の色を強くしてきている。

その筆頭は機能訓練型のデイだろう・・。

機能訓練とは筋力だけではなく、認知症や生活上の作業など範囲は広い。

ただ、現存する機能訓練型のデイはおおむね筋力トレーニング型である。

予防の観点からすると、やはり歩行能力、口腔ケア、認知症予防の三つが必要。

口腔ケアは歯科医がさかんに訪問診療に力を入れている

認知症予防はひょっとするといずれ予備校などが参入してくるのだろうか?

そして歩行能力は機能訓練デイがトレーニングジムさながらに規模を拡大している

それぞれの場所で訓練をして、機能や能力をアップしたお年寄りは

生活に戻り、家事や好きな趣味を続けることができる

これは素晴らしいことだ。

団塊世代が介護の必要な状態になってくる。明治、大正、昭和初期の生まれのお年寄りとは違う。今後の介護サービス経営で考えなければならない課題。

しかし、過ごした時代、見て、聴いて、味わったものは違っても、高齢による社会や生活からの喪失体験というのは、どの世代にも共通ではないか。ならば、介護する職員も、提供するサービスの形は変わっていっても、その根幹に持ち続けるべき志は変わらないのであろう。

僕は今、仕事上様々な施設を見て回ることができる。

施設の特色や考え方、姿勢はたいへん勉強になり、次々と新しい発想のサービスが創られていることに驚きの毎日だ。

大きな資本力で高価な機械や設備がある施設、古民家改装で費用を抑え且つ介護保険の隙を埋める保険外お泊り施設、生活リハビリと役割で本人の力を引き出そうとしている施設、喫茶店さながらの施設、外出レクを盛んに行うことを売りにする施設、入浴専門の施設、・・等々。

そして昔ながらの王道をいくデイサービス。

介護施設は、利用者さんにとって目的にかなったものであり、目標にたいして効果が期待でき、課題を解決できるものでなくてはならない。専門性をもった施設はケアマネージャーのケアプランにも反映しやすく、利用者や家族にもわかりやすい。これからの施設は有無を言わさずに、そういった流れに飲み込まれていくのだろう。

僕は以前、ある施設の管理者をしていた。

優秀なスタッフに恵まれ

生き生きとしたケアを提供でき

利用者のいきいきとした表情があふれる施設であった

僕は40歳をむかえ、人生の終わりまで何日かと意識するようになった。

今は

自らの施設をもつことを、夢から目標に切り替える時期を見定めている。

そのためには多くを見、多くを知り、多くを整え、多くを考えなければいけない。

これから新しい施設が創られるとき

どんな形がよいのだろうか・・?

ずっと考え続けてながら、しかし変わらず心に決めていることがある

それはお年寄りがいきいきと生命力をわきたてることができ、スタッフが全力で取り組め喜べる施設であること。単純なようで難しい。利用者のためと標榜しスタッフを酷使してしまったり、スタッフの労働権利を重視しすぎ利用者サービスが形骸化したり、そんなことは実はあたりまえのように起きている。


僕は春に木々が新しく芽吹き始める、その生命力を感じるのが好きだ。

そして、雪解けとともに次々と咲き始める木々や花々が好きである。

春の息吹 と 花の彩り そこに人間の生き方や喜びを重ねてしまう。

働く職員も利用するお年寄りもそんな風に過ごせる場所を

僕は創りたいと思っている