小金沢昇司さん死去 | リヒャルト・アドルフ・ワイズマンSS大佐のふてくされPlatz

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「歌手の小金沢くん」。11日に呼吸不全のため神奈川県内の病院で死去した歌手の小金沢昇司さん(享年65)は、1992年、渡辺篤史のナレーションで呼びかけられる「フィニッシュコーワ」のCMで一世を風靡(ふうび)した。

 当時は歌手としての知名度はそこまで高くなく、せりふを一言も発せず、商品でのどをシュッシュとするだけ。視聴者からは「小金沢くんって誰?」「本当に歌手なの?」と問い合わせが殺到。当時駆け出し歌手だった小金沢さんを一躍有名にし、92年の新語・流行語大賞において大衆部門の銀賞を受賞するほどの人気となった。

 大柄の体格に強面(こわもて)な表情。食堂を営む両親の元で育った青春時代は、かなりやんちゃだったこともあり、地元では番長的な存在で知られた。歌手を志し北島三郎の付き人として修業生活を始めると、やんちゃも封印。見た目とは正反対な柔和なスマイルのギャップで、音楽関係者からも愛された。99年に米グアムで結婚式を挙げた際には、教会にタキシードのズボンを持っていくのを忘れるなど、おっちょこちょいなエピソードでも親しまれた。

 本業の歌では、味わい深い、ハリのある声質が武器。歌の師である北島三郎のことを「おやじ」と慕い、その背中を追い続けた。デビューした25年間所属した北島音楽事務所をのれん分けの形で2014年に独立。17年の30周年コンサートには北島から真っ赤なジャケットを贈られるなど交流も続いた。歌の道で恩返しすることを誓っていたが、20年の酒気帯び運転事故からの謹慎自粛などもあり、近年は表だった活躍からは遠ざかっていた。生前は「声が続く限り、人の心に届く歌を歌いたい」と歌っていた小金沢さん。もう歌声を聴くことはできない。



01/15 16:42 スポーツ報知

🎤小金沢昇司さんが人気が出たのは、CM出演でブレイクしてからで、当時吾輩は「演歌歌手がブレイクするには、演歌以外で別な要素が必要なのか。」と思いました。


R.I.P.