私も以前「先生」と呼ばれていたことがあります。 
先生と呼ばれたくない方が結構 多いのではないか?と最近も感じまが…

 殆どの場合、実績や実態、その質においても共わない方々が 先生と呼ばれているとの意見も多く、そう呼ばれたくない方の多くの割合でそのことが原因であったりの意見もよく耳にします。 

最近でも、講師 コーチング コーチャー スピーカーと呼ばれる様々な方々も同様ですが、この「先生」について…
 
 
すべては「私」、自分(から)なんだということ… 

 そこから考えを馳せて改めて思い当たるふしも在るのではないでしょうか❓ 
特に、意識も波動も高くある方々は、フとした時に聞こえてきた言葉や気に止めずとも自らの口をついて出た言葉、誰かに伝えようとしたハズの言葉や単語に、そのタイミングでか思うところがあったり、気が付いて我が身に置き換えますね。
 

○○に注意して… 
○○はこうなんですよ… 
今回の例の○○は皆さんにとっては… 

 等々

それを、
我が身に一度、置き換えてみる習慣からか〜
 
「これは今の自分へのメッセージなのか?一部でも省みる所はあるのではないか?」

 そういった機会を何時も持っている方々が確実に在ります。

スピーカーとして、講師として皆さんの前で話をして 先生と呼ばれたり、カウンセリングや萬相談受けから同様に呼ばれて人様から有り難がられ感謝されて、時には接待に呼ばれたり、お土産や差し入れを頂いたりと…

本当に感謝しているのは「私」です。 

実は、
セミナー会場に お金を払ってしかも遠方からもみえられて、話を聞いて貰える「私」を高みに送って下さっているのは皆さんです。
 

実は、
どんなに為になる、素晴らしい、暖かい、愛ある、パワーと共に、皆さんに届けているのは「私」であって私ではなく、みなさん各々の「私」です。 

私自身も気が付くのが遅かったのですが、正直に書きます、 

足を運んで、一所懸命に聞いて下さる皆さんの在るそのキラキラした場所に私たちは、届きたい。そこへ たどり着きたい。後を追って共に歩めるベースを得たい。 

こうやって今生の皆さんは記憶を消されて降りて在りますが、本来、私たち「私」は魂のレベルの足りていない未熟な者で、少しだけ皆さんよりも現世で思い出した大切なことを多く持っているに過ぎません。
 
勿論、より高みに在るその皆さんの手助けにも成っているには違いなくとも、受け手にみえる皆さんは、その本来の在る姿はより耀き 愛に満ちた 方々なのです。 

だからこそ、労力をいとわず都合を付け足を運び「私」を支持して、又確かめに来て、喜んでまで下さる。 

「私」達は、皆さんに支えられた上に、感謝まで頂いてステージ上へ引っ張り上げてまでくださっています。 
それは、卑下したりへりくだったり、謙虚にお伝えしているのではなくて 真実として伝えて置きたいことの1つです。
 

中には私があまり多くを知らないだけで、本当に素晴らしい リーダーが 在るべくして(皆さんの前に)在るでしょう。 
けれども、殆どの「先生」は、未熟な早熟思考意識のある方で、また多くは大切なその部分、真実の部分を置き忘れたままで来てしまった残念な者です。 

問題外な
私利私欲我身のみかわいい「大先生」も蔓延っていますけれど、無意識に見抜いた「先生」をどうぞ皆さんがファンとなって互いに与えながら上昇していく素晴らしい関係を脳内に思い描いて、今後もその「私」の話を聞きながら、お互いに感謝の気持ちを交えて連鎖加速して行きます様に…
 

本当に、
いつも
ありがとう御座います。 

歓喜合唱感謝


ハッピー🍀😌💕✨ケムケム✨