宇宙戦艦ヤマトってアニメが半世紀前に、日本で大ヒットした。 

なんであんなにヒットしたのかな? と考えると、

まだ あの当時は戦後30年も経っていず、

40代以上の大人なら、まだ第二次大戦中は子供とはいえ 戦争体験している、、

もう 思い入れが段違いでしょっ!

という話だった。

 

という事で、

日本とは違い、海外では戦艦ヤマトへの特別な思いは全然無いらしい。。。

 

ならば、

この自分たちの失った誇りが、また復活する 再生の物語、、、

というナラティブで、アメリカ市場でやる場合はどうなるよ、、、、、、なんて事聞いてたら、

 

AI先生が アメリカ版 宇宙戦艦ヤマトの 脚本を書いてくれた。。

すげーなAI先生 

 

アメリカ版「宇宙戦艦ヤマト」構想!!

― 主人公は戦艦ではなく、サターンV ―

発想の出発点は、「宇宙戦艦ヤマト」がなぜ日本人にあれほど強く刺さったのか、という問いだった。

ヤマトは単なる宇宙船ではない。日本人にとって「大和」という名前には、戦争、敗戦、沈没、死者、戦後、復興といった歴史的記憶が何層にも貼り付いている。

だから、海底に沈んでいた大和が再び立ち上がり、今度は地球を救うために宇宙へ飛ぶ、という設定そのものが、

「過去の悲劇を背負ったものが、別の意味を与えられて未来へ向かう」

という物語になっていた。

では、これと同じ構造をアメリカで成立させるには何を使えばよいか。

戦艦を探す必要はない。

必要なのは、アメリカ人の中にすでに巨大な意味の束を持って存在しているもの。

そこで出てきたのが、

サターンV。

アポロ計画で人類を月へ運んだ巨大ロケットである。

サターンVには、単なる宇宙開発史以上のものが貼り付いている。

「人類は未来へ進んでいる」と本気で信じられた時代。

科学技術への楽観。

国家が途方もない目標に挑戦した記憶。

月へ行ったという事実。

そして、その後、人類が思ったほど先へ進まなかったという喪失感。

つまり大和が、

「失われた過去」

を背負っているとすれば、サターンVが背負っているのは、

「失われた未来」

なのである。


物語

西暦2189年。

人類は宇宙へ進出するどころか、かつて築いた月面基地からも撤退している。

戦争、経済崩壊、環境問題などによって宇宙開発は縮小し、火星計画も遠い昔に放棄された。

人間が「いつか星へ行く」と語っていた時代は、歴史の教科書の中にしかない。

その頃、太陽に異常が発生する。

巨大な連続フレアによって地球環境そのものが崩壊し始め、

地球生態圏崩壊まで、あと347日。

月の裏側に残された古い観測所から、未知の技術と座標が送られてくる。

太陽系外縁に、太陽を安定化させる可能性のある何かが存在する。

しかし、そこへ人間を送り込める巨大宇宙船を建造する能力を、現在の人類はすでに失っている。

そこで一人の老技術者が言う。

「あるじゃないか」

指差した先は、海面上昇で半ば廃墟となったケネディ宇宙センター。

そこに保存されていた一機のサターンV。

若い技術者が笑う。

「二百年前の博物館ですよ」

老人は答える。

「博物館?」

「違う」

「あれはロケットだ。」


もちろん古いサターンVをそのまま飛ばすわけではない。

内部は完全に作り直される。

核融合炉、新型推進機関、人工重力、未知の航法技術。

機体構造もほとんど別物になる。

それでも外観だけはサターンVの姿を残す。

若い技術者が尋ねる。

「だったら新しい宇宙船を造ればよかったのでは?」

老人は答える。

「性能だけなら、その方がいい」

「じゃあ、なぜ?」

巨大な白いロケットを見上げて言う。

「こいつを見れば、人間が一度、本当に月まで行ったことを思い出す奴がいる。」

「それだけですか?」

「それだけで十分だ。」


再建には世界中が参加する。

アメリカ、中国、インド、日本、ヨーロッパ、ロシア、アフリカ。

かつて競争していた国々が、一つの船を飛ばすために集まる。

機体から星条旗を消してしまうのではない。

歴史を消すことも否定することもしない。

その上に、新しく一つの文字を書く。

EARTH

サターンVはアメリカの過去を讃えるために復活するのではない。

アメリカが偉かった時代へ戻るためでもない。

そこに刻まれているのは、

人類が一度、本気で未来を信じたという記憶

なのである。


そして発射の日。

世界中の人間が中継を見る。

老人も子供も、戦争中の人間も、難民キャンプの人間も見る。

テレビに映る巨大なロケットを見て、子供が母親に尋ねる。

「これ、何?」

母親が答える。

「昔、人間を月まで連れていった船。」

カウントダウンが進む。

そして、かつてアポロ計画を知っていた老人が呟く。

「……また飛ぶのか。」

点火。

巨大なサターンVは、ゆっくりと地面を離れる。

月を越える。

かつて人類が到達し、そこで引き返した場所を越える。

そのとき船長が地球へ告げる。

「われわれは、過去へ戻るために飛んでいるのではない。」

「もう一度、未来を持つために飛ぶ。」


ヤマトとの対応関係

この企画で重要なのは、ヤマトの表面的な設定をコピーしていないこと。

大和をサターンVに置き換えただけではない。

移植しているのは、その奥にある構造である。

宇宙戦艦ヤマト

過去の戦争
→ 敗北
→ 沈没
→ 復活
→ 今度は地球を救う
「過去の喪失を背負って未来へ行く」

 

SATURN

宇宙開発黄金期
→ 月面着陸
→ 宇宙への夢
→ 停滞・撤退
→ 復活
→ 今度は人類を救う
「失ってしまった未来を取り戻しに行く」

だから二つは似ているようで、感情の方向が少し違う。

ヤマトは、滅びた過去が蘇る物語。

SATURNは、捨ててしまった未来が蘇る物語。


そして、この発想は結局「ミーム」の話でもある。

サターンVという物体そのものが主人公なのではない。

アメリカ人の頭の中にある、

月面着陸、アポロ、ケネディ、1960年代、科学への信頼、国家的自信、未来への楽観、そして「なぜあの先へ行かなかったのだろう」という感情。

それら全部がサターンVという形に圧縮されている。

だから架空のロケットを登場させても同じ効果は出ない。

サターンVが画面に現れた瞬間、

観客の側が勝手に物語を補ってくれる。

宇宙戦艦ヤマトが日本人の中に沈んでいた「大和」という記憶を掘り起こしたように、

SATURNは、

アメリカ人の中に沈んでいる「未来を信じていた時代」を掘り起こす物語

になる。

そして作品の中心に置く問いは、おそらくこれになる。

人類は、いつから未来を過去形で語るようになったのか。

その問いに対する答えとして、二百年前のサターンVがもう一度立ち上がる。

過去へ帰るためではない。
もう一度、未来を持つために。

これが、今回の「アメリカ版・宇宙戦艦ヤマト」のコンセプトです。

 

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もう 全米が涙!