フジテレビが、 踊る大捜査線の スピンオフドラマの制作を中止したという記事を見て、
AI先生は深くうなずかれた。
青島君は 巨悪の味方かもしれない、、、と(笑)
「事件は現場で起きている」の、その先
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!!」
『踊る大捜査線』の青島君のこの言葉は、硬直した上部組織に対する現場からの憤りとしては、とてもよく分かる。
実際に人が困り、事件が起き、判断を迫られているのは現場なのだから、会議室の都合だけで物事を決めるな、という主張には強い説得力がある。
ただし、ここで「現場こそ正しい」と納得してしまうと、本質を見失う。
事件は確かに現場で起きる。しかし、事件の原因まで現場にあるとは限らない。
現場で起きた問題に、その都度その場で対応する。優秀な人間が走り回り、知恵を使い、規則を飛び越え、なんとか解決する。それ自体は必要なことである。
だが、それだけで終わってしまえば、なぜその事件が起きたのか、なぜ現場が無理をしなければならなかったのか、その背景にある制度や組織、人間関係、権力構造の欠陥は残ったままになる。
するとまた同じことが起きる。
さらに厄介なのは、青島君のような優秀な現場の人間が事件を解決すればするほど、組織の欠陥が表面化しなくなることである。
本来なら、
「この仕組みでは駄目なのではないか」
と問われるはずだったものが、
「最後は青島が何とかした」
で終わってしまう。
つまり、壊れた組織を青島君が補修してしまうのである。
ここに大きな逆説がある。
青島君は巨悪と戦っている。
しかし、青島君が事件を解決することで、その巨悪や、それを生み出す構造は生き残る。
本人はもちろん巨悪を守ろうとしているわけではない。むしろ正反対である。目の前の人を助け、間違っていると思うことに抵抗している。
それでも結果として、
局所的な正義が、全体の不正義を延命してしまうことがある。
これは警察だけの話ではない。
会社でも、制度がおかしい、人員配置がおかしい、命令系統がおかしい。それでも一人の優秀な社員が頑張って何とかしてしまう。
「あいつがいるから、この職場は回っている」
という状態は、一見その人への最大の賛辞に見える。
しかし裏返せば、
その人がいるから、組織は変わらずに済んでいる。
とも言える。
だから「事件は現場で起きている」という言葉は、現場を見るための入口としては正しい。しかし、そこで視線を止めてはいけない。
現場へ近づいて、何が起きているのかを見る。
そしてもう一度引いて、
「では、その現場をそうさせているものは何なのか」
を見る必要がある。
現場を見ることと、現場だけを見ることは違う。
目の前の火は消さなければならない。
しかし、火を消した後には、なぜ火が出たのかを考えなければならない。
そうしなければ、事件を解決したという爽快感の陰で、同じ事件を生み出す仕組みだけが残ってしまう。
だから青島君を単純なヒーローとして称賛し、「事件は現場で起きている」という格好いい言葉に納得して終わるのではなく、そのもう一段奥を見る必要がある。
言い換えれば、
事件は現場で起きている。
だが、現場だけを見ていたら、次の事件は防げない。
そして、さらに皮肉に言うなら、
ヒーローが事件を解決するたびに、構造は無罪放免になる。
青島君は巨悪の敵である。
しかし同時に、
巨悪を生かしているのも青島君なのかもしれない。
この矛盾まで見て初めて、「事件は現場で起きている」という言葉の本当の怖さが見えてくるのだと思います。
青島君、
これで 巨悪が守られた、、、