車の排ガス規制が始まって久しい。
車が人間の能力を拡張する(ようはモビルスーツ)のような役割と、車を所有することのステータスを、無邪気に喜んでいた平和な時期が終わり、社会の中で増え続ける車が、どう折り合いを付けていくのかっていう
今でいうサスティナブルってのを真剣に経験した最初が排ガス規制かもしれない。
それまでのシートベルト装備などの どちらかというとメーカー側の主体かつ小手先な対策で済んでいた時代から、交通戦争とまで言われていた毎年の多数の交通事故死や、自動車がまき散らす公害、騒音などの環境汚染が抜き差しならない状況になってきた60年代後半あたりから、車のもつ原初的な魅力ってのはどうしても削がれざるえなかったのかなーーと思う。
ラルフネーダーとかマスキーとか彼らの行動は、自分も感動してすごく共感してんだけど、、、
ちょっと前のCMで トヨタ社長の 「安心、安全な車は絶対です」というセリフがあり、耳ざわりはいいのだが、それだと車の持っている本質の一部分がすっぽり落ちてしまっている気がしていた。
社長も 同CMで、「本当は うるさくて、乗り心地悪くて、早い、、、な車が好きだー!!、、みたいなことを言っていて、それを本音として発言しても、イチ車好きとしては許される。むしろ車好きの社長のいる会社として好印象(を与えたい 意図) という事は、
結局誰もが、わかっちゃいるけど それじゃあだめだしーーという事なんだと思う。
この原初的な、 スリルを味わいたい、命がけだって良い、注目されたい、一番速く走りたい、大音量でぶっ飛ばしたい。。。。。
といったような考えは、反社会的行為という事で、一般的に「絶対ダメ」 というレッテルが張られている。
(もう絶対的な善。少しでも批判したら悪)
しかしほかの分野で、 絶対に安全な「冒険」や絶対安全な格闘技とか競技等「各種スポーツ」なんて無いと一方では思う。
そんなのはサーキット(クローズド)でやれ。 その通りだとも思う。
でもそれだとやっぱり どこへでもいつでも自由に行けるという 車の本質部分がやっぱり欠けてしまう。。。。
こうならざるえないんだろうなーーとは思っているのだがーーー、、、 最近のエコで静かなスーパーカーや、真摯に排ガス対策に取り組む超高級車などの記事を読むと、どうも、、、、、、、
自分が折り合いがつかなくて困っている昨今だ。
結局 古い車ばかりになっていく。。