自然から学べという父の影響の下、幼少のころから夏になると田舎に預けられていた。写真の廃分校に小学校二年生の夏休みの間まるまるいた。
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夜はイノシシが出て危険なので決して校庭にでないようにと言われていたが、もとより夜になると鼻をつままれても判らない真っ暗闇だったので、外なんか出るわけないのだった。。。
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懐かしくて涙が出てくる。ここに住んでいたおじさん達や中一を頭に三人の子供達は結局どうしたのか?
今となっては知る由もない。







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山の分校から海に出るまでの、急な細道の傍らに清流が流れていた。川途中に滝壺があり、そこでは子供たちがいつもたむろして泳いでいた。その清流の上流の水を引っ張って水道水にしていたはずで、子供が上流の沢で遊ぶと水道水が濁るという、非常にシンプルな笑、仕組みだった。





そういえば小学校一年の夏は、伊豆大島の国立公園内に建ててある小屋に住んでいた。なぜ公園内に小屋がといえば国立公園指定される前からそこに住んでるんだから問題ないって論理で古い小屋を持っている人がいたのだった。 公園といってもそこの周りは道も満足にないもう鬱蒼としたジャングル、明かりは裸電球一個しかない感じで、それも自家発電していんではなかったかな?
朝目覚めると 庭で自生しているオクラを取り、卵をもらう。
なんだかよくわからない南国っぽい鳥たちの鳴き声をBGMに朝ごはんと随分と贅沢な時間を過ごさせてもらったと今にして思う。

三年生以降は毎年一人で東北の親戚家に厄介になっていて、従妹と遊びまくっていた。一人在来線を乗り継いで半日以上かけて田舎にいっていたのだが、東京には当時もう走っていなかった手動で開け閉めする客車が
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珍しく、夜 田舎の駅で停車中の客車からわざと降り、時間で動き始めた汽車に一人飛び乗って遊んだことを思い出す。
人間がずうずうしくなる素養をこのころ養生されたのだなーーと今になった思うのだった。