よく"手段"が"目的化"しているなんて言うことがある。
世間でもよく言うし、自分でも良く使う。
でもその言葉を使いながら、実は手段も目的も立位置で変わってしまうんだよなーーと頭の隅をよぎることがある。
例えば、社員の無駄な残業を減らして効率的な仕事を求める"目的"の為に、ノー残業デイを"手段"として始めた企業が、いつの間にかノー残業デイを達成する為に、定時退社日の定時後の社員を問答無用で会社から追い立てて不興をかうとか、、これって目的は無駄な残業の減少でその手段が定時退社なのに手段が目的化しているなんてよく言う。。 ぬ
しかし、なぜ無駄な残業がいけないかっていうと、社員を効率よく働かせることによるコストの減少が目的だったりする。この場合の手段は無駄な残業の減少(目的は コストの減少)。さらになぜコストの減少が必要かって言うと、企業が利益をよりだして社員にお金を還元する(のも一つの)目的、この場合の"手段"はコスト減少。
さらにーなぜ社員にお金を還元するかって言うと、社員一人一人がやりがいを持って幸せになってほしいから、じゃあなぜ社員一人一人がやりがいを持って幸せ、、とどんどん続いていき最後の最後は 「宇宙っ!!とか 神っ!!」とか叫んで終わるわけです。
手段は目的の下にツリー構造みたいにぶら下がっていて、一部に注目して枝(手段)の根元の幹(目的)を見たつもりでも更に引いた目で見ると、その幹(目的)もまた枝(手段)の一つだったりする訳だ。
何が言いたいのかといえば、目的と手段はその成り立ちがツリー構造になっている、見る位置を変えると目的が手段に変わってしまうような構造なので、「目的の方が手段より偉い」って単純に言えないってことだ、
これと同じような(?違うか)話で、発明は凄いけど改良は凄くないってのがあると思っている。
発明(ルーツ)の先に改良という行為が枝分かれして続いていく。
全く世の中に無いものを発明した人は偉い。しかしそれを改良し続けてより実用的により多くの人がより安価にその発明の恩恵に享受できるようにすることは別に偉くないっ(むしろけしからん)て風潮。
コロンブスは賞賛されるべき人間だけど、それを誰でも出来ると批判する人間とそれをフォローして大海に出て行った後続の人たちを一緒くたに「大したこと無いって」てくくっている雰囲気。
自分達はどちらかといえばコロンブスをフォローする後者の国民なんだと認識した上で、大したこと無いって知らん振りを決め込んでいるのと、それは凄いって後追いかも知れないけどフォローして大海に出て行くことは全く違うと認識して、もっと日本はフォロワーとしての自信を持ったほうが良いよなーと思っている。
もともと発明と改良にはそう大きな上下は認識しても無かったと思うものの、改良して実用的になりより多くの人に使われることは、そこに大きなお金の流れが生まれることで「発明者よりフォロワーの方が儲けているそれは盗人行為だ」
って感情を大きくしたもんだと思う。
ただインベントしたものだけがイノベイターでは無いって事と、行き過ぎたルーツ(探しや)尊重はほどほどにと思う。
インベントした人も、それが全くの無から有をうんだのか物なのか?時代や社会の状況が背景でそれが生まれたのでは無いか等などもうちょっと謙虚さも持って良いよなーと感じるのだった。
読み返すと前半と後半をむりやりくっつけてますな 笑