この間話をした人は、資産数百億という同い年の人だった。
いたって普通の風体だが、話すとまあ堅気で無い様な人達(芸能人やそれに近いイメージで商売しているような人たち)の話がよく出てくる。
最近そんな話は慣れてしまって、もうどうでもよくなっているのと、年のせいか凄いなーと思ってもあまり羨ましくも無くなってしまっているのだが、一点気になったのが話の終りがどうしても「金が儲かった」という話に落ち着いてしまうことだ。
いくらいくら投資して、結果それが100倍になったとか、あの人のビジネスモデルはいくらいくら儲かるとか、自分はケイマンで申告しているので出て行く金が少ない。。。等など
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お金は無いよりあった方が勿論良い。「お金がすべてじゃない」そんな事を言う人の殆どがお金が欲しいの裏返しだよなーーってのも良く判った上で、、あえてやっぱりお金儲けが人の行きつく先、目的では無いと思う。
タダの紙である紙幣に色々なものと交換できる価値を与えているのは人でしかなく、その価値も結構あやふやな事で崩れてしまうのも、昨今の世界ジョウセイを見ていれば想像がつくしなーー。

お金の絶対量でその人の幸福価値が測れないと皆言うし良く判っているのに、やはりそういう単純化した尺度に話が行きがちなのは、人ってそんなに複雑な事考えんの得意じゃないからだろうなーーと思ったりする。

せっかく、才覚があるのに周りの人や、いやいやもっと大上段に構えて、
人類の幸福の為にその力を使わないのは、実に勿体ないなー、なぞと考えていた。

その方は、資産が減る事を恐れて結婚する事が出来ないそうだ。またその一方で資産をもってますねと褒めそやされる事にはとても敏感だそうで、その話を聞くと、なにか主体がどう生きているかの自分ではなく、金が主体になっているようなーーーという思いを強く感じるのだった。

自分含め多かれ少なかれ、彼のような感情は皆もっているんだろうが、スケールが大きいだけ象徴的に聞こえた彼の話に、とても考えさせられたのだった。

(えらそーに話していますが、彼が「儲け話に一口乗らない」って言ったら1も2もなく乗る自分も勿論いるのだった。。)